チヨの苦悶・6

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チヨの苦悶・6

 あたしは苦しくて悲しくて、全てから逃げるように走った。走って走って、走り続けているとボフンとなにかにぶつかった。 「うわっ」って声がして、あたしも「うわっ」ってなって、弾き飛んで尻もちをついて「いてててて」となった。 「チヨ……?」  馴染み深いその声に顔を上げると清四朗がこっちを見ていた。 「おお、清四朗……こんなところで何やってるんだ?」 「今日は土曜日で半ドンだ。今から帰るところだ」  清四朗はそう言いながら尻もちをついたままのあたしの前まで歩いてくると手を差し伸べた。 「ほれ、掴まれ」 「おお……かたじけない」  清四朗に手を引かれながら立ち上がったあたしは、あたしにぶつかった清四朗の友達を見た。  たしか純平という名だったか。尋常小学校でも何回か見たことがある。純平はあたしよりも頑丈らしく、あたしに弾き飛ばされることなく立ったまま驚いた顔であたしを見ていた。  尻をはたき終えたあたしは純平に頭を下げた。 「ぶつかってしまい申し訳なかった。大丈夫か?」 「いや、こっちこそごめん。俺は大丈夫だけど田中さんの方こそ大丈夫?」 「あたしも大丈夫だ」  純平は清四朗と同じで活発だけど優しい雰囲気がある。きっと似たもの同士だから気が合って仲良くなるのだろう。あたしの頭には瑞代ちゃんが浮かんでいた。あたしと瑞代ちゃんも似ているのだろうか?……あたしと瑞代ちゃんは姉妹でもあるからきっと似ているのだろう……。倫之介の姿が思い浮かんで心がズキンと痛くなった。  暗い気持ちになっていると、純平の横に立っている、洋太、菊助という名前の二人が笑顔で純平を指さしながら「こいつは不死身だから何しても大丈夫だ」「もっと怒ってやってもいいんだぞ?」と楽しげに言うので、心が痛かったけど、あたしもつられて笑顔になっていた。  隣から視線を感じて清四朗を見上げると、清四朗も優しい目で微笑んでいて目が合った。 「やっと笑った」  清四朗はそう小さな声で独り言のように言った後、純平、洋太、菊助、あたしを見回しながら「喫茶店かフルーツパーラー寄ってかないか?」と聞いて、純平、洋太、菊助は「行く行く!」「行こうぜ!」と元気よく答えた。  まだ返事をしていないあたしを見た清四朗が「チヨは?」と聞いてきて、皆に注目された。  純平が弾んだ声を出した。 「行こうよ」 「田中さんと仲良くなりたいです!」  気張って大声で言う菊助の頭を叩いた洋太が「清四朗に殺されるぞ」と冗談っぽく言った後、あたしに視線を向けて優しい口調でゆっくりと言った。 「俺たちも普通に友達として田中さんと仲良くなりたいんだ。一緒に行かないかな?」 「友達……?あたしも友達になってもいいのか?」 「もちろん。田中さんは清四朗の友達だろ?だったら俺等も友達だ」 「おお……そうか……!そうだな!友達だ!」  心の奥にある重苦しいものは無くならないけど、友達だと言われて嬉しくなったあたしは再び笑顔になっていた。  全員昼ご飯がまだだったので喫茶店に行くことになり、ちょうどすぐ横に喫茶店があったのでそこに入った。  ステンドグラスのハイカラなドアを開けると、温かい空気と一緒に煙草とコーヒーの臭いが出て来て、洋楽のレコードが流れていて、ガヤガヤと沢山の人の喋り声がした。と同時にさっき倫之介を一人で喫茶店に置いてきてしまったけど大丈夫だろうかと、キュッと胸が苦しくなった。  喫茶店の臭いをかぐとお母ちゃんの喫茶店を思い出す。  あたしの後ろに居る清四朗が洋太に「ありがと」と小声で言うのが聞こえて、振り向くと洋太が清四朗の肩を組んで「今日は清四朗の奢りな」とうれしそうに言っていた。  何か恩に着ることがあったのだろうか?  真ん中の四角いテーブルが空いたのでそこに座った  あたしが座った椅子の隣に清四朗が椅子を持って来て座り、他の3人はテーブルの1辺につき1人ずつ座った。 「田中さん、何食べたい?」  純平が1つしかないメニュー表を広げてあたしに差し出した。あたしは「みんなで見よう」と、テーブルの上のメニュー表を横に向けた。 「全部清四朗の奢りだから遠慮なく注文してくれ」  何故か自慢げに言う菊助に洋太が「なんでおまえが威張って言うんだ?」とあきれながらも楽しそうに言った。  なんだろう?この皆の中に居るとあたしもなんだか楽しくなってくる。  清四朗があたしに話しかけた。 「チヨ、何にする?」  あたしは食欲が無かったけど、今それを言うのは何となく気が引けたので、いつものように振る舞った。 「おお……そうだな。ライスカレーにする……」  清四朗はウェイトレスを呼び止めてあたしの分も含めて全員分を注文した。  料理が出てくるのを待っている間、菊助がテーブルに乗り出して生き生きとあたしに話しかけた。 「清四朗いい奴だろ?どう!?」 「どう……?」  あたしと目を合わせている菊助の目はキラキラと輝いていた。なぜ質問するだけでそんなに目を輝かせるのだ?清四朗がいい奴なのは知っている。だが一体なにが『どう?』だというのだ?  あたしは質問をし返した。 「『どう?』とはどういうことだ?」
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