63人が本棚に入れています
本棚に追加
避難所である小学校に着くと沢山の人たちがあちこちにいた。
お日様はだいぶ西に傾いていた。
倫之介は人々を誘導しているおじちゃんに声をかけた。
「すみません、怪我人がいるのですが、薬はありますか?」
「怪我人?だったら宿直室に医者がいる。場所は分かるか?」
「いえ」
おじちゃんは大声で宿直室の場所が分かる人はいないかと叫び、それに反応した被災者の人々が集まって来て案内してくれた。喉が渇いたと嘆いていたら知らないおばちゃんが飲み水を3人分宿直室に持って来てくれた。みんな親切だった。
東京のほとんどが燃えていると知ったのはその日の夜で、夜あたしたちが住んでいた方角の空は赤く染まっていた。
お父ちゃんや清四朗やお客さんたちは無事なのかと、とても心配になった。倫之介のお父ちゃんも心配だ。
倫之介のお父ちゃんは小学生の頃、倫之介の家に何度か遊びに行ったときに会ったことがある。あたしのことを面白いとよく言っていたが倫之介のお父ちゃんの髪型のほうが爆発したみたいで面白かった。
倫之介のお父ちゃんや清四朗たちの笑顔を思い出しながら皆の無事を祈った。今日のお昼までは普通の生活だった。なのに今は全く違う。
「倫之介のお父ちゃんは無事なのか?」
「父さんは僕が書生になってすぐに旅に出たよ。小説を書く刺激が欲しいって。京都に住んでみたいって言ってたから東京には居ないはずだよ」
「そっか。ならよかった。あたしのお父ちゃんも無事だといいが」
「……チヨちゃんはお父さんと仲良いの?」
「いや。あまり会ったことはないし、会ってもあまりしゃべってくれない。けどあたしのお父ちゃんなんだ」
「……そっか……」
地震のせいで電気が使えない小学校は真っ暗で、でも東京が燃えて空が赤いから多分少しは明るくて、教室も廊下も寝るために横になっている被災者であふれていた。
布団は持って来た人以外は無い。足が包帯まみれになったお母ちゃんは微熱を出していて、痛いのを我慢しながら倫之介の学ランを枕にして床で眠りについたばかりだ。その横にあたしと倫之介は座ってお母ちゃんを看ていた。お母ちゃんはあたしのせいでこうなった。もしこのまま死んでしまったらどうしようかと思うと涙が溢れてきた。
「大丈夫?」
倫之介がやさしい声で聞いた。そのやさしい言葉で耐えていた涙がこぼれてしまった。
「あたしのせいでお母ちゃんはこうなった。あたしが居たからお母ちゃんは……」
そのとき寝ていたはずのお母ちゃんが目を開いて静かな声で言った。
「私がこうなったのはチヨのせいじゃない。私が自ら選んだことです。だから泣かないで」
「お母ちゃん、起きてたの?」
「私はね、チヨ。あなたの命と引き替えなら足くらい安いものだと思っているのよ。だからチヨがそんなふうにいつまでもメソメソしてたら私はショックで死んでしまいます」
「え!?死!?やだ!!」
「静かになさい。みんな寝ているのよ?」
「ごめんなさい」
「母に生きていて欲しければ母の言うことを聞いてメソメソするのはやめなさい」
あたしは止まらない涙を両手で何度も拭いながら「わかった」と答えた。お母ちゃんは続けて倫之介に視線を向けた。
「倫之介さん。今日は本当にありがとう。あなたのおかげで私もチヨも無事助かりました。私を背負って長い間歩いて大変だったでしょう。このご恩は生涯忘れません」
「いえ……」
それから少しして、お母ちゃんの隣にあたし、倫之介の順で仰向けで寝転んだ。身体は疲れているのに目が冴えて眠れない。
今日はとても長かった。思い返せば今日の倫之介はあたしの知っている亀の倫之介ではなくうさぎのように素早くて象のように力持ちだった。倫之介はもう亀ではないのだ。亀ではないのにドキドキとする。だからきっとあたしは亀でも亀でなくても倫之介が好きなんだ。
「倫之介。今日はありがとう。倫之介がいなかったらお母ちゃんは死んでいたかもしれない。本当はあたしはビンボーでも大学行かなくても倫之介なら何でもいいんだ。どのみちあたしは倫之介以外に嫁に行く気はないのだから」
「うん」
倫之介に視線を向けると倫之介は静かに微笑んでいた。
最初のコメントを投稿しよう!