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清四朗の苦悩・2
大正12年9月1日。
その日俺は家族で親戚のいる神戸に滞在していた。
8月末まで夏休みで、9月1日は土曜で半ドンで、9月2日はまた日曜だから、1日も学校を休んで2日に東京へ帰る予定だった。
理由は1日に親戚の家でイギリスやアメリカ、フランス人の商人が複数人集まってパーティをすることになっていたからだ。
学校でも貿易のことや外国語は習うが、やはり実際に外国の商人から見聞きするものはこれから将来に役立つ経験となり、パーティで交流を深めることで仕事をする上での人脈にもつながるからと、父さんが俺等4兄弟も一緒に参加させたのだ。
東京が震災で燃えていると知ったのは2日の朝だった。新聞を読んだ親戚が教えてくれた。
1日は神戸も少し揺れたが、まさかその地震が東京を大惨事にしていたとは思ってもみなかった。
しばらく親戚の家で生活をすることになったが、俺はチヨが心配でいてもたってもいられなかった。しかし東京への交通機関は止まっているし、どうしようもなかった。
20日後ようやく東京への交通機関が復旧したと情報を得ると、俺は前もって準備をしておいた荷物を持って東京へ向かおうとした。しかし玄関には母さんが待ち伏せしていた。
「東京へは行かせませんよ」
「学校の友達が心配なんだ」
「本当に学校の友達なの?清四朗があの畜妾の悪女の娘と一緒にいるところを私の友人が何人も目撃しているのよ。それに悪女が経営する喫茶店にも通っていたそうじゃない。例え遊びでもあんな娘との交際など汚らわしい」
好きな女を悪く言われて頭にきた俺は思わず言い返していた。
「は?なんでそこまで言われなきゃなんないわけ?そもそも悪女ってなんだよ?俺からすれば噂ばっか気にして知りもしない相手の悪口ばっか言ってる母さんのほうがよっぽど悪女に見えるんだけど」
「清四朗!!!なんですか!!?親に向かってその言い草は!!!」
「図星だからって怒るなよ。今鏡見てみろよ。まさに悪女の形相しているよ」
「清四朗!!!」
母さんが今にも飛びかかってきそうな勢いの声を張り上げたとき、次男の勇二朗こと勇兄が2階から下りてきた。
「朝っぱらから一体何の騒ぎだよ?」
「勇二朗!!聞いてちょうだい!!この馬鹿息子が私に暴言を吐いたのよ!!」
勇兄は「あ――」と何かを考えながら俺の方へ歩を進めると、俺の頭の上にポンと軽く右手を乗せた。
「母さんは大事にしなきゃ駄目だぞ?どこかへ行くのか?」
「東京へ戻る」
「ああ、電車復旧したらしいな」
勇兄はそう言いながら俺と目を合わせたまま、つかの間何かを考えると「よし!俺も行くわ!」と言い出した。
母さんは再び怒りだした。
「駄目よ!あっちはまだ揺れるみたいだし、危険だからもうしばらくここに居なさい!清四朗もね!!」
勇兄は落ち着いた口調で答えた。
「いや、俺、一応父さんから洋服の工場任されてるから工場と工員の様子見に行かないと」
「そんなの見に行ったところで全て焼け落ちてるわよ!!それに紗和さんや子どもたちもしばらくここに居たいって言ってたわよ!!あなたも大人しくここにいなさい!!」
「紗和や武蔵たちはここに置いてくよ。俺は仕事に責任があるからいつまでもいられないよ。下町のほうは無事なところもあるらしいから工場も無事かも知れないし。それに交通機関が復旧したってことは、またすぐに東京は生き返る。もたもたしてたら商機を逃すよ」
母さんは仕事のことを具体的に言われると分からないので何も言えなくなる。なので勇兄のことは諦めたようだった。しかし俺だけは行かせないと言い出した母さんに、勇兄は俺も東京に連れて行くと言い張った。
「清四朗を女のところに行かせなきゃいいんだろ?見張っておくよ」
「でも……!」
「何を言ってもどのみち清四朗は隙を突いて東京へ行くよ。だったら俺が一緒のほうが安心だろ?」
その後しばし問答が続いたが、理路整然と話す勇兄に何も言い返せなくなった母さんは俺を勇兄に預けることにしたらしく、俺はようやく東京へ行くことが出来た。道中勇兄は言った。
「母さんに本当のことを言う必要はないよ。適当に上手く言って上手くやる。わざわざ喧嘩などする必要はない。おまえも女のところへ行きたいなら行け。ただし母さんには口を滑らすな」
7歳年上の勇兄は、8歳年上の聡一朗こと聡兄よりも要領が良く勘も良いため、4兄弟の中では1番商売に向いている。それでも1番優遇されるのは長男の聡兄で、それを勇兄がどう思っていたのかは分からない。
乗り継ぎを繰り返し、電車に揺られて12時間ほどで住み慣れた街に足を踏み入れると、どこもがれきまみれだった。焼けた箇所は墨と化し、俺の知っている東京では無くなっていた。
チヨの店は焼けてはなかったが、崩れて他と同じくがれきの山になっていた。チヨが生きているのかさえも分からず、不安の中、俺はチヨを探し始めた。
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