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倫之介の追憶・5
震災から半年後。
チヨちゃんが地元に戻って家がどうなったのかを見たいと言ったのが去年の11月で、以来僕たちは地元へ戻ってきていた。そこで家族だけで暮らせる小屋のバラックに運良く入居出来ることになり、チヨちゃんとかやさんと僕はそこで家族のような生活を送っていた。
バラックの並ぶ区域には常に医者が居たおかげで、かやさんの右足はすっかり治っていたが、左足には麻痺が残ってしまった。故に杖をついて左足を引きずって歩くしかなくなり、チヨちゃんは責任を感じていた。
僕は、地元に戻ってすぐに、冬の寒さに備える防寒具を買いそろえる為と、チヨちゃんとかやさんに少しでも栄養のあるいい物を食べてもらいたくて、がれきの撤去や建築物の材料を運んだりする力仕事で稼ぎ始めていた。
眞吉さんや瑞代さんや松尾家に居た人たちの安否が気にならないと言えば嘘になるが、こんな状況下で書生としてまた世話になることには気が引けていたし、不謹慎ながらもチヨちゃんと一緒に暮らしている今が幸せだったので考えないようにしていた。
なによりチヨちゃんが、どんな僕でもお嫁さんになってくれると言ってくれたことで、現実問題こんなことになってしまった以上、このまま結婚して働きながら画家を目指したほうがいいのではないかとも思い始めていた。
松尾家の女中であるうたさんと再会したのはそんな矢先だった。
まだまだ寒さが残る3月。僕は冷たい風に身を縮めながら仕事から帰る途中、バラックの近くでチヨちゃんの好きな干し芋を販売しているのを見かけたので、買って帰ろうと立ち寄った。そのとき聞き覚えのある声がした。
「……倫之介さん……?」
振り向くと、うたさんが居た。気持ち痩せたように見えた。
持っている風呂敷からは大根の頭が飛び出していて買い物に来ていることが分かる。うたさんは涙目になりながらも笑顔になった。
「良かった……!ご無事だったのですね!瑞代お嬢様が屋敷で待っておられます!一緒に戻りましょう!」
後ろめたさから僕の心臓は大きく波打ち、うたさんから目を逸らしていた。
「いえ……こんな状況になってしまいましたし、書生を続けるのは申し訳なさすぎるので……」
「たしかに……。今の松尾家には書生の学費を払えるほどのお金はありません……」うたさんの声から覇気が無くなったのが分かった。「地震があった日、奥様は倒れてきたタンスの下敷きとなってお亡くなりになりました。旦那様も行方不明のまま未だ戻らず。お給金が出なくなり、わたし以外の女中や下男は皆里へ帰ったり他の地へ職を求めて去って行きました……」
奥様が亡くなり眞吉さんが行方不明――聞きたくなかった。僕はそれ以上何も聞きたくなくて立ち去ろうとした。それを見たうたさんは引き留めるように大きな声で続けた。
「しかし瑞代お嬢様は倫之介さんが生きて戻って来ると信じて2ヶ月前から倫之介さんの学費を作るためにカフェーで働き始めました!!そんなお嬢様へと、これまで松尾家で受けた恩を返すのは今なのではありませんか!?旦那様は倫之介さんに跡継ぎの教育をして来られました!!旦那様が戻られるまでの間、松尾商会を支えることが出来るのは倫之介さんしかいないんです!!!」
僕の鼓動は更に激しく波打ち、僕の全てがうたさんの言葉を拒絶していた。
「……僕にそんな力はありませんし書生もやめます……瑞代さんにもそうお伝えください……」
そう言い残すと僕はその場から逃げるように走り去っていた。
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