チヨのデパート戦記

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チヨのデパート戦記

 大正10年、高等女学校を卒業したあたしは16歳のお姉さんになっていた。ようやく学校に行かなくても良くなったので家の屋根の上に寝転んでのんびり空でも眺めて暮らそうかと思ったらお母ちゃんに働けと怒られたのでデパートガールになった。  入社して1週間、すっかり職業婦人でモダンガールなあたしとなったあたしは、耳隠しの髪型にクロッシェ帽をかぶり、新勝色の着物にブーツを履いた。よし!モダン!  仕事行くの面倒くさいなぁ、なんて考えながら屋根にのぼって空を眺めてたら遅刻しそうなったので、お母ちゃんが作ってくれた握り飯を食べながら走っていた。お母ちゃんは職場に着いてから食べろと言っていたがそんな時間はない。道ゆく人々があたしを見て笑っている。笑いたければ笑え。あたしは恥より飯を取る。  電車は1時間くらい待たなきゃ乗れないので、だったら1時間走ったほうが早いので、いつも走って通勤している。いつもと違うのは今日は握り飯を食べながら走っているということだ。  走りながら3つ目の握り飯を口に押し込んだとき胸につっかえてむせて鼻から米が出た。痛い。苦しい。誰か助けてくれ。走ることが出来なくなったあたしは鼻水とヨダレと涙を流しながら立ち止まってしまった。どんなに苦しんでも誰も助けてはくれない。  涙を流してむせながらも歩き出し、しばらくすると握り飯は胃腸へと下りていった。苦しみの山場を乗り越えたあたしは胸のところに僅かに残る握り飯の残骸を唾で流した。やれやれとホッとしたのもつかの間でハッとした。駄目だ。遅刻する。  全身全霊の力走で長い道のりを駆け抜け、デパートの裏口を通り抜け、ブーツに脱ぎ捨てスリッパに履き替え、なんとかタイムレコーダーまで辿り着き、遅刻1分前にタイムカードを押したあたしは息を整えながらやれやれとホッとして歩いていた。すると偉いさんの江口さんがあたしの前に立ち塞がった。 「キミ、顔中に米粒がついてるよ」 「え?」 「みっともないから早く取りなさい」 「わかりました」  売り場へ行き、米粒を取るために鏡を探していたとき、先輩の早坂さんが「商品並べるの手伝って!」と言ったので「わかりました」とスカーフやら扇子やらを並べていると時間になって開店した。たくさんのお客さんが靴をスリッパに履き替えたり靴カバーをすると入ってきた。  いらっしゃいませ、いらっしゃいませ、とみんなが米つきバッタみたいにペコペコするのであたしも米つきバッタになってペコペコと頭をさげた。1週間やり続けた米つきバッタはかなり板についてきた。  母親に手を引かれて入って来た男の子があたしを指さして「こめつぶついてる~」と笑ったので米粒を取ることを思い出しながらも「米粒おばけだよぉ~ベロベロバ~」と両手の平を広げて顔の横で指をヒラヒラとさせてやると男の子は大笑いしながらあたしに殴る蹴るの暴行を加えた。 「こめつぶおばけやっつけてやる!」 「痛い!イテテ!やめてくれ!」  そのとき背後から声がした。 「なにやってんだ?」  振り向くと清四朗が立っていた。 「おお、清四朗。なぜここにいる?学校はどうした?サボりなのか?」 「今日は日曜だ」  そう言う清四朗は西郷柄の大島袖にトンビコートを羽織り中折れ帽をかぶっていて典型的な男子のお出かけの格好をしていた。 「おまえ顔中に米粒ついてるぞ。どんな食い方したらそうなるんだ」 「ああ、そうだった!米粒!」  あたしは米粒を取るために鏡を探した。そのとき背後から声がした。 「あの、すみません。白いハンカチーフを探しているのですが」  振り向くと白いワンピースを着た若い女性客が立っていた。 「はいな!今持ってきますのでちょいとお待ちくださいませ!」  早足で白いハンカチーフを手に取ると急いでお客さんに手渡した。 「ありがとうございます」とハンカチーフを見たお客さんの表情が曇った。 「あの、これ、白ではなく薄黄色……」 「え!?」  驚くあたしに清四朗が呆れたような声を出した。 「売り場まで案内すればいいだろ」 「あ、そっか!」  あたしはお客さんを売り場まで案内した。やれやれと一息ついていると、いつの間にかあたしの隣に来ていた清四朗が言った。 「早く米粒取れよ」 「あ!そうだ!米粒!」  あたしは米粒を取るために鏡を探した。そのとき背後から声がした。 「しゅみましぇん。ふぉふぶぇにゃぉきゃいてぁいんでぇしゅぎゃ」  振り向くと小柄なおばあちゃんが杖をついて立っていた。入れ歯を忘れたのか歯がなくて何を言っているのか分からない。あたしは耳隠しで隠れている耳を出すと耳に手を添えた。 「わんすもあぷりーず!」 「ふぉふぶぇにゃぉきゃいてぁいんでぇしゅぎゃ」 「……ふんどしを履いて痛いんですが……?ふんどしを履いてみたら閉めすぎて食い込むから新しいふんどしが欲しいのですか?ふんどしは男が履くものですがふんどしにしますか?」 「ちぎゃう。ふぉふぶぇにゃぎゃふぉしぃいんでぇしゅ」 「……ふんどし好き放題……?」 「ちぎゃう」 「頬紅が欲しいんじゃねぇのか?」  清四朗の問いかけにおばあちゃんは「うんうん」と首を縦に振った。 「ああ、頬紅」  あたしはおばあちゃんを化粧品売り場まで案内した。やれやれと一息ついているといつの間にかあたしの隣に来ていた清四朗が言った。 「だから早く米粒取れって」 「あ!そうだった!米粒!」  あたしは米粒を取るために鏡を探した。そのとき背後から声がした。 「キミ、朝の子だよね?」  振り向くと偉いさんの江口さんが立っていた。 「なんで米粒取らないんだ?さっきから苦情が100軒も入っているよ。米粒を顔中に付けた変な女が子どもに米粒おばけだと脅かしたり、白いハンカチーフが欲しいと言っているのに薄黄色を持ってきたりって。さっきなんかは頬紅を買いに来たお客さんにふんどしを売ろうとしてたよね?なにより米粒を顔中に付けることを流行と勘違いしている女が店員にいる店はファッションセンスが怪しくて買う気が失せるという声が1番多かった」 「あ!すみません!今から取ります!」 「いや、もういい。キミはクビだ」 「え……?」  あたしはデパートガールを1週間でクビになった。
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