63人が本棚に入れています
本棚に追加
清四朗とチヨ・1
勇兄が倫之介を連れてきた。
クソ。勇兄め。余計なことをしやがって。
勇兄は面倒見がよくて人当たりがいいが、一方で容赦ないところがある。
昨晩、倫之介とチヨを会わせるという勇兄に俺は怒った。
しかし勇兄は淡々と言った。
「誰を選ぶかはチヨちゃんが決めることだ。清四朗が長年チヨちゃんを好きだったことは知っているが、逆に言えば長年好きだったのに振り向かせることが出来なかったということだろ」
俺は何も言い返せなかった。
そう、チヨが好きなのは倫之介だ。
倫之介が俺とチヨが一緒に暮らしていることを知ってそのままにしておく訳がない。
もし今日倫之介がチヨに一緒に暮らそうと言えばチヨは間違い無く倫之介を取るだろう。
俺はどうしようもない不安に押しつぶされそうになっていた。
チヨは倫之介の姿を見るなり「倫之介!!会えてよかった!!」と立ち上がると倫之介に駆け寄って飛びついた。
俺は咄嗟にその光景から目を逸らした。
チヨが居た座布団の上にはふんどしをつけたニワが「コッコ」と鳴きながら首を縦に振っている。
俺は恐る恐るもう一度チヨのほうへ視線を向けた。
チヨに抱きつかれた倫之介はうれしそうに口角を上げ、顔を真っ赤にさせて鼻の下を伸ばしている。
腹立たしさを感じながらも、もう潮時なのかも知れないとも感じていた。
勇兄が言う通り、長年チヨを振り向かせることが出来なかったんだ。この先もチヨが俺に振り向くことは無いだろう。
倫之介がチヨに聞いた。
「バラックを出てからここに来るまではどこに居たの……?」
「うたの兄の家に居たが追い出されて集団バラックへ引っ越した。倫之介が全く来ないから何故だろうと思っていた。よく考えたら倫之介に引っ越したことを言ってなかった。会えてよかった!」
「うたさんってあのうたさん……?何故うたさんのお兄さんのところに……?」
「うたがお父ちゃんの使いだとやって来て案内された家がうたの兄の家だった。どうやらうたは嘘の使いだったようだ。お父ちゃんは倫之介と一緒に仕事をしているのだろ?お父ちゃんは元気か?なぜ今日は一緒に来なかったのだ?」
「あ……それは……」
口ごもる倫之介を見てピンときた。
倫之介のやつ嘘をついてやがるな。
どうせ行方不明か死んだかのどっちかだろ。どの道いつかは知ることになる。だったら最初から変な期待は持たせないほうがいい。
そういうことが分からず、言いにくいことを言わないのが倫之介だ。だから亀なのだろう。俺はやはり亀にはなれない。
チヨは倫之介の隣に座ろうとした。俺は思わず言った。
「チヨの席はここだろ?」
俺とチヨの母親の間に空いた、ニワが座っている座布団を指さすとチヨは「あ、そうだった!」と俺の隣へ戻ってきた。倫之介は淋しそうな顔をした。
悪いな、倫之介。
だがこれがチヨと俺の最後の晩餐だ。
勇兄の妻である紗和さんが座卓の上に料理を並べ終えると食事が始まった。天ぷらや味噌汁や白飯を口いっぱいに頬張るチヨは「おいひぃ!おいひぃ!」と嬉しそうに食っていた。相変わらず色気も何もあったもんじゃねーな。
そう思いながらチヨを見る俺の口元は緩んでいた。
勇兄の隣に腰を下ろした倫之介は、勇兄と仕事の話をしながらも隙あればチヨと俺に視線をチラチラと向けている。
俺はそれに気付いていないふりをした。
ふとチヨに視線を戻すとチヨの口の周りは天ぷらの油でテカっていた。俺はいつものように布巾でチヨの口を拭いてやった。
「油まみれだぞ」
「おお!ありがとう!」
これを見た倫之介は顔を青ざめさせ、この世の終わりのような表情をしていた。
安心しろ、倫之介。
チヨが好きなのはおまえだ。
腹が立つからこれはおまえへの最後の嫌がらせだ。
そう、これで最後なんだ……。
最初のコメントを投稿しよう!