チヨの苦悶・2

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チヨの苦悶・2

 夜ご飯が終わってから帰りがけに倫之介が言った。 「松尾商会の事務所にも寝泊まり出来る部屋があるんだ。僕は今そこに住んでいる。かやさんと3人でまた一緒に暮らさないか?」 「3人……?ニワさんも居るのだが……?」  倫之介はあたしが抱きかかえているニワさんをチラッと見た。ニワさんは「コッコッ」と言った。 「ああ、もちろんニワさんも一緒だよ」  それをあたしの隣で聞いていたお母ちゃんが倫之介に言った。 「それは松尾の主や奥さんの許可を得てるのですか?」 「……いえ……奥さんは震災で亡くなりました。眞吉さんは……かやさんたちとチヨちゃんは大事な人たちだし、きっといいと言うと思います……」 「倫之介さん。正直に答えてくださいね。眞吉さんは本当に生きているのですか……?」  倫之介はあたしをチラッと見ると少しの間困ったような顔をしていたが、「……行方不明のままで分からない状態です……」と小さな声で言った。  あたしは驚いた。お父ちゃんは無事で倫之介と仕事をしているのではないのか……? 「倫之介!どういうことだ!?」 「ごめん……チヨちゃん……本当のことが言いにくくて……結果、嘘をついてしまった……」  倫之介は苦しそうに言った。倫之介は普段は嘘を付くようなヤツではない。そうか。倫之介は優しいから言えなかったのだな。 「そうか。優しいからついた嘘なんだな。気を遣わせて悪かった。なら今松尾家には瑞代ちゃんと使用人しかいないということか?」 「……チヨちゃん何で瑞代さんのこと知ってるの……?」 「ああ、カフェーで友達になった。腹違いのお姉ちゃんだと知らずに仲良くなって知って驚いた」 「そう……。すごい偶然だね……。今松尾家には瑞代さんとうたさんしかいないんだ……僕も松尾家ではなく松尾商会に泊まっているし……」 「そうなのか……瑞代ちゃんはうたと2人きりなのか……」  瑞代ちゃんはお母ちゃんを亡くしてお父ちゃんも戻らないから、うたのお給金を払うためにカフェーで働いていたのだな。明るいからそんなふうには見えなかった。  お母ちゃんが倫之介に聞いた。 「眞吉さんが居ないと分かっていながら倫之介さんは何故松尾商会の仕事を始めたのですか?」 「うたさんに眞吉さんが戻るまでの間、松尾商会を立て直せるのは僕しかいないと言われたので……チヨちゃんとかやさんの家を建てるためにはこれしかないと思いました……」 「そう。ありがとうございます。いつもわたしたちの為に全力を尽くしてくださる倫之介さんには本当に感謝しています」  そう言いながら深々と頭を下げたお母ちゃんは、頭を上げると続けて言った。 「話は戻りますが、松尾の奥様も眞吉さんも居なくなった今、松尾家の当主は瑞代さんということになりますが、チヨとわたしが松尾商会に住むことの許可は得ているのでしょうか?」  倫之介はハッとした表情をした後目を泳がせた。 「……いえ……」 「チヨは眞吉さんの子ではありますが、戸籍上は他人です。なので無断で松尾商会に住む訳にはいかないのです」  お母ちゃんの視線があたしに向いた。 「チヨ。もし倫之介さんが瑞代さんに松尾商会で一緒に暮らす許可を得た場合、清四朗さんの家を出て倫之介さんと暮らしますか?あなたが決めなさい」 「え……?」  清四朗の家を出る……?  あたしはキョロキョロと清四朗を探した。  清四朗は少し離れたあたしの後ろに1人でポツンと立ってこっちを見ていた。  心がチクンと痛んだ。  清四朗はお母ちゃんとあたしの部屋を用意してくれて、そこにお母ちゃんのベッドを用意してくれて、お母ちゃんの机とソファーも用意してくれて、お母ちゃんがみんなとご飯が食べれるように台所にも机と椅子を用意してくれて、あん摩マッサージの人も毎日呼んでくれて、にわさんも一緒に住ませてくれて、生活費も全部出してくれている。  なのに倫之介が来たからって出て行ってもいいのだろうか……?  あたしたちが居なくなったら清四朗はあの広い家に1人ぼっちになってしまう。  けれども倫之介も今1人ぼっちだ。  あたしが好きなのは倫之介で一緒に暮らしたいのも倫之介だが、清四朗への恩義は返せていない。あたしたちが出て行ったら用意してくれたベッドや机は無駄になるのではないのだろうか?それとも出て行ったほうが生活費の負担が減るしうれしいのだろうか?この質問は直接聞いてもいい質問なのだろうか?  何も答えることが出来ずにいると、少し離れた場所にいた清四朗があたしの隣に来て言った。 「とりあえず倫之介が松尾家の当主に許可を得ることが出来ればチヨは松尾商会で暮らす、許可が出なかったら今まで通り俺の家で暮らすでいいんじゃねーの?」  そう言う清四朗は微笑んではいたが、目は少し涙ぐんでいて、どこか悲しげに見えた。
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