清四朗の苦悩・1

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 商いをしている我が家から少し離れた場所に、今は亡き祖父が妾たちを住まわせていた家がある。誰も使わなくなったそこは俺が友人と集まったりするのに使うようになっていた。 「ここの2階の窓からは桜と空が綺麗に見えるんだ」  チヨを連れ込むことに成功した俺は歩くたびにミシミシと音が鳴る木の廊下を踏みしめながら階段へと向かった。チヨは「桜と空!」と目を輝かせながら俺の後をついてきた。  2階に上がってすぐの部屋のふすまを開けると、すり切れた黄色い畳が敷き詰められた15畳の部屋に窓が横並びに広がっていて、そのすぐ前には桜の木が等間隔で3本植えられている。この時期になると満開になった桜とその間から顔を出す青空が映えて見える。  チヨは「おおお!!!」と声にならない声を上げながら窓に吸い寄せられて行った。 「綺麗だ!!!」  興奮するチヨの横に立った俺も桜と空を見つめた。 「ずっとチヨに見せてやりたいと思ってた」 「ありがとう!!!団子持ってこればよかった!!!」 「まだ食うのか?」  窓の前に座り込んだチヨを見た俺はわざとチヨの肩に俺の肩が触れる距離に腰を下ろした。穏やかな風がふき、モンシロチョウが舞っている。  窓の額縁の上で両腕を組んだチヨはその上に顎を乗せながら空を眺め、つぶやくように言った。 「清四朗はいいな。こんな場所に住めて」  微笑を浮かべたまま桜が舞い散る空を見つめるチヨに視線を向けた俺は再び空に視線を戻した。 「俺の嫁になればおまえもここに住めるぞ」 「そうだな。だがあたしは倫之介の嫁になるからな」  チヨの口から久々に聞くその名前に俺は一瞬固まった。 「……ハ?あんなヤツとまだ繋がってたのかよ!?」 「ああ。倫之介はあたしのお父ちゃんの家で書生になって学校に通っている。大学行って金持ちになってあたしを嫁にするために頑張ってるんだ」  愕然とした。倫之介が去年まで同じ中学にいたことは知っていたが、チヨは全く倫之介の話をしなかったから、すっかり切れているものだと思っていた。寝耳に水とはこのことだ。 「……好きなのか……?」 「あたしの初恋の相手は亀だった」 「……ハ?」 「川のところで見つけた子亀が可愛かったから持って帰って飼うことにした」 「何の話をしてるんだ?」 「亀は一生懸命歩いたり走ったりするが全てが遅く力も弱い。だが一生懸命いろいろする。それを見ているうちになんだか胸がドキドキとし恋心が芽生えた」 「…………」 「倫之介は亀に似ている。あたしは倫之介にもドキドキとする」 「……言っておくが亀に人間の女を幸せにする能力はないぞ?」 「倫之介は亀ではない。亀に似た人間だ」 「どっちにしろ一緒だ。あいつはおまえを幸せになど出来ない」 「なぜだ?」 「亀だからだ」
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