63人が本棚に入れています
本棚に追加
倫之介の追憶・9
瑞代さんと一緒に暮らすことになってしまい、僕は困っていた。
僕にはチヨちゃんがいるというのに僕に好意を寄せている女性と暮らすことに抵抗があったからだ。
こうなったからには一刻も早く瑞代さんに許可をもらってチヨちゃんもここで一緒に暮らすしかない。
瑞代さんが来た翌朝、茶の間兼居間に行くと座卓の上に漬物や箸などが並んでいた。
隣に続いている台所の引き戸は開けっぱなしになっていて、白米や味噌汁のいい匂いがした。うたさんと瑞代さんがご飯を茶碗によそったり味噌汁をお椀に入れたりしている。
「お嬢様、わたしが教えなくても料理は完璧ですね」
「女学校で嫌というほど叩き込まれたから」
2人は会話をしながら盆に味噌汁とご飯を乗せると居間に立ち尽くしている僕の存在に気付いた。
瑞代さんは笑顔になり目を輝かせた。
「倫之介さん!!おはようございます!!ちょうど今朝ご飯が出来ました!!」
続けてうたさんが瑞代さんの背中に手を添えながら僕に微笑みかけた。
「ほとんどお嬢様が作ったのですよ!!どうぞ召し上がってください!!」
頬を染めて僕を見つめる瑞代さんからは好意が伝わって来て、それはただ迷惑でしかなくて思わず『チヨちゃんが僕の婚約者なので、チヨちゃんとも一緒にここで暮らしたい』と言おうと口を開いた。
「チヨちゃ」そのときうたさんが僕の声を打ち消す大きな声を出した。
「チョコレートが食べたい!!?倫之介さん何贅沢なこと言っているんですか!!?」
「いや違いますよ。チヨ」「千代紙が欲しい!!?」
「違います!チ」「チリ紙!!!」
「違い」「ちりめんじゃこ!!!」
「違」「血が足りない!!!」
「ち」「チリ山チリ太郎さん!!!」
「誰……?」
チヨちゃんの話をしようとすると、ことごとくうたさんが邪魔をして話すことが出来なかった。うたさんはチヨちゃんが僕の婚約者だと知っているし瑞代さんと僕をくっつけたがっているからわざとだろう。
うたさんが居ない時を見計らって瑞代さんに言おうとしたが、そんな僕の思考などお見通しと言わんばかりに、僕が出勤するまでの間うたさんは瑞代さんから離れることは無く、僕はうたさんと瑞代さんに見送られながら自転車にまたがり松尾商会を後にした。
こうなったら仕事の合間にチヨちゃんの所へ行って事情だけでも話しておこう。このままでは瑞代さんから先に僕と暮らしていることを聞かされて変な誤解を招きかねない。
朝一で取引先に生地の見本を見せて注文を取り付けた後、営業先の顧客と一緒に昼食を取りながら商談を済ませると時計は14時過ぎを指していた。
次の取引先との約束の時間まで2時間ほどの空きがある。本当はこの時間は飛び込み営業へ行こうかと思っていたけど急遽予定を変更し、チヨちゃんが住んでいる清四朗くんの家へと自転車を飛ばした。
時間とお金に余裕が出来たら自動車の運転免許を取りに行って自動車を買おう。かやさんは足が悪いしチヨちゃんとデートをするにも自動車はあった方がいい。
15分ほど自転車をこぎ続けて清四朗くんの離れの家に着く頃には汗だくになっていた。
もう春だというのに今年は寒い為羽織っていた厚手のコートを脱いだ僕は息を整えながら玄関の戸を叩いた。
「こんにちは!ごめんください!」
月曜日の今の時間帯は清四朗くんはまだ学校で居ないはずだ。家の中からは「コケ――ッコッコッコッケ――ッ!!」とニワトリが興奮した声と「ウギャ――ッ」という女性の叫び声が聞こえ、続けてチヨちゃんの声がした。
「おお!!!ニワさん!!!それはほくろだ!!!餌ではない!!!」
なんだろう?と驚きながらも再度戸を叩いた。
「こんにちは!ごめんください!」
「は――い!!!」
チヨちゃんの元気な声と共に廊下を走る足音がした。
チヨちゃんに会えることに僕の胸は高鳴り気づけば顔をほころばせていた。と同時に元気よく戸を開けて飛び出して来たチヨちゃんは僕の身体に激突した。
「うわっ」
「わぁ!!!」
僕とチヨちゃんは思わず声を漏らした。
後ろに倒れそうになった僕は何とか踏ん張り、同じく僕にぶつかった衝撃で後ろに倒れそうになっているチヨちゃんの背中に両手を回した。
「チヨちゃん大丈夫?」
チヨちゃんは僕の両腕に体重を預けて背中を反らせながら僕と目を合わせるとパチクリとまばたきをした。
「おおお!!!倫之介ではないか!!!」
満面の笑顔になったチヨちゃんが可愛くて愛おしくてどうしようもなくなった僕はチヨちゃんを抱きしめていた。
小さくて柔らかいチヨちゃんが僕の腕の中で嬉しそうな声を出した。
「あたしに会いに来てくれたのか!?」
「そうだよ」
そのとき玄関のすぐ横にある部屋、おそらく客間から「倫之介さん……!?」と聞き覚えのある声がして見るとうたさんの姿があった。僕の背中に寒気が走り全身に鳥肌が立った。
何故うたさんがここに居るんだ……!!?
肩にニワトリを乗せたうたさんは客間から飛び出して来て、大股の早歩きでこちらに向かって5歩、ズンズンと廊下を歩いて上り框のところで立ち止まり、僕たちをジッと見た。
僕は身構えていた。
ここに居るってことは僕とチヨちゃんの恋を邪魔しに来たに違いない……!!
チヨちゃんに一体何を話したんだ……!!?
驚きと焦りと混乱で訳が分からなかった僕の心臓は早く波打っていた。
最初のコメントを投稿しよう!