チヨの苦悶・3

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 思いがけず会えた倫之介にうれしくなったと同時に倫之介はあたしを抱きしめた。  大きな倫之介の腕の中は温かくて安心を覚える。あたしも倫之介の背中に腕を回した。 「あたしに会いに来てくれたのか!?」 「そうだよ」  そのとき背後から「倫之介さん……!?」とうたの声がした。  肩にニワさんを乗せたうたは大股の早歩きでこちらに向かって来てあたしたちをジッと睨み付けた。  なんだ?うたは何をあんなに怒った顔をしてるのだ?  あたしの視線はうたの肩に乗っているニワさんに向いた。  あ……!!!ニワさんにほくろをつつかれていたうたを見殺しにして玄関に来てしまったから怒っているのか……!!!  謝ろうとしたとき、怒りの形相をしたうたはいつの間にか倫之介とあたしの間に両手を入れて引き離して割って入り、倫之介を見上げていた。 「ちょうど良かったです!!今からチヨさんに真実を話そうとしていた所です!!」  そう言ってあたしに視線を向けたうたは鼻息を荒くさせながら言った。 「よ――く聞いてください!!今松尾商会で倫之介さんと瑞代お嬢様は一緒に暮らしています!!!瑞代お嬢様は両親を亡くし孤独な身となってしまいましたが倫之介さんのことを愛しており、心の支えとしております!!!瑞代お嬢様を救えるのは倫之介さんしか居ないのです!!!」 「え……?」  あたしの頭の中は真っ白になった。  今なんと……?  いつになく怒った倫之介がうたに言い返した。 「一緒に暮らし始めたのは屋敷の窓が全て泥棒に奪われたからですよね!!?瑞代さんの両親が亡くなったことは気の毒に思いますが僕にはどうすることも出来ません!!!」  するとうたはいきなり土下座をして頭を地面に擦りつけた。 「お嬢様は今心を壊していてご両親が亡くなっていると分かっているのに帰って来ると本気で思い込んでいます……!!!今はわたしが側に居て何とか支えていますが、わたしも結婚が決まってしまい、一生お嬢様の側に居ることは出来ません!!!そうなればお嬢様は独りぼっちになってしまい、下手をしたら命を絶ってしまう危険性もあります!!!お嬢様を救えるのは倫之介さんしかいないんです!!!」  え……?  瑞代ちゃんは心を壊しているのか……?  命を絶ってしまうかも知れないのか……?  瑞代ちゃんの笑顔が頭を過ぎり、心がチクンと痛んだ。  倫之介は引き続き怒って言い返した。 「瑞代さんを救うのは僕ではある必要は無いはずです!!!他に好きな男性が出来ればその男性が救うはずです!!!僕にはチヨちゃんが居るんだ……!!!これ以上邪魔しないで欲しい……!!!」  頭を上げたうたは涙を流しながら倫之介にすがるような訴えるようなそんな声で言った。 「いいえ!!!お嬢様を救えるのは倫之介さんだけです!!!お嬢様はこれまで3人の男性に恋をしましたがその3人のうち2人のことはわりかしすぐに踏ん切りをつけていました!!!けれども倫之介さんは違います!!!倫之介さんとの恋は実らないと分かっていながらもこれほどまでに長年の間想い続けているのです!!!今後も倫之介さんほど好きな男性は現れません!!!お嬢様を幸せに出来るのは倫之介さんしかいないのです……!!!」 「そんなこと言われても僕が好きなのはチヨちゃんで瑞代さんでは無いのだから仕方ないじゃないですか……諦めてください……!!」  うたのすすり泣く声が響いていた。  あたしはこの前瑞代ちゃんが言っていたことを思い出していた。 『倫之介さんの婚約者のかたが羨ましいわ……』 『わたしね、恋愛ではいつも脇役なの。初恋の人には許嫁がいたし、次に好きになった人はすでに結婚していて。で、今好きな倫之介さんも婚約者がいる。だからね、空想することにしているの。主人公になったわたしを。現実は辛いことばかりだもの。空想の中でくらいなら幸せになってもいいと思わない?』  そのとき廊下の奥の戸が開く音がして、見るとお母ちゃんと白衣を着たぽっちゃり中年女性の玉垣さんが出て来た。  2人はこちらに向かって歩いて来ると、玉垣さんはあたしたちを気にしながらも草履に足を入れ、お母ちゃんに身体を向けて会釈をした。 「では、明日も同じ時間に伺いますので」 「はい。よろしくお願いします」  お母ちゃんは杖をつかなくてもぎこちないなりに歩けるようになっている。玉垣さんはあたしたちにも会釈をするとドアを開けて出て行った。  お母ちゃんが微笑を浮かべながらドアを見つめて落ち着いた口調で倫之介とうたに説明した。 「あん摩師の方よ。毎日来てくれているの。奥の部屋まで声が響いていたからあん摩師さん部屋を出るのをためらっていたのよ」  次いであたしたちを見回して、あたしの顔をしばし見つめた後に続けた。 「そろそろこの家の主の清四朗さんが戻って来る時間だから続きはまた今度でもいいかしら?うたさんも夕食の準備があるんじゃない?チヨもそろそろ夕食の買い出しに行かないといけないから」  お母ちゃんは嘘をついている。清四朗はあと2時間は帰って来ないはずだ。でもお母ちゃんがそう言ってくれてあたしはホッとしていた。胸が苦しくて、頭の中がぐちゃぐちゃで、涙がこぼれ落ちそうで、辛くて今は倫之介とうたには帰って欲しかったからだ。  倫之介はあたしの両肩を両手で握ると真剣な顔で低い声を出した。 「今日は瑞代さんが松尾商会に引っ越してきたけどそれは屋敷に住めなくなったからだと説明しに来たんだ。必ず家を建ててかやさんと3人で暮らせるようにするよ。その前に瑞代さんにチヨちゃんも一緒に住めるように許可を貰うからそれまで待っていて欲しい」  あたしはどう答えれば良いのか分からなかった。  あたしも倫之介と暮らしたい。  でも瑞代ちゃんのことを考えると胸が苦しくなる。それに清四朗をこの家に1人で残すことにも罪悪感を覚える。  倫之介はあたしを強く抱きしめて「僕が好きなのはチヨちゃんだから!!!」と強い口調で言うと、うたと一緒に玄関を出て行った。
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