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清四朗とチヨ・4
考え込んでいる俺にチヨの母親が凜とした声で問いかけた。
「それは清四朗さん自身はチヨを妻として迎え入れたいと考えていると捉えて宜しいですか?」
俺はチヨの母親の表情を探るように見ていた。
「ええ。考えてますが」
チヨの母親は眼光鋭く俺を見据えた。
「清四朗さんのお母様はわたしを良く思ってはおらず、チヨのことも目の敵にしていることでしょう。清四朗さんがチヨを娶りたいと望んでも反対されるのではないでしょうか?」
「俺の母親は父の言いなりです。父は、四男の俺と三男の兄には好きな相手が居るなら好きにしろと言ってます。長男と次男が親が決めた相手と結婚してくれたので」
「そうですか。しかしチヨが清四朗さんの家に嫁げば、お母様は気分を害されるでしょう。そしてチヨには辛く当たるはずです。わたしは可愛いチヨが不幸になることに耐えることは出来ません」
チヨの母親は俺とチヨが結ばれる未来を考えてきたと言いながら、俺とチヨが一緒になることに難癖をつける。だがチヨの母親が言いたいことは分かるし、このことについては俺も何度か考えてきた。
「俺はチヨを不幸にしません。絶対に」
「何故言い切れるのです?」
「俺は四男なので母と同居することはないですし、母から遠く離れた場所に家を建てるつもりです。もし母がチヨに何かをするようなことがあれば俺は母とは縁を切ります」
「そんなことをすれば本家を追い出されて職を失うのではないですか?」
「さっきも言いましたが、全ての権限は父にあります。その父自身が家庭の行事に参加しないことが多く、母と俺たちの関係を重視していません。会社に利益さえ残せば俺がどんな生活をしようが鑑賞してくることは無いかと」
チヨの母親の表情がやや柔らかくなった。
「そうですか。なら安心ですね」
そう言った後、チヨが落ち込んでいた理由を話すこと無く椅子から立ち上がった彼女はテーブルの上の食器を流しへ運びながら「今すぐお風呂を沸かしますね」と、食器をタライの中に入れ終えるなりそそくさと台所を出て行った。
ポツンと残された俺は、ふと脚に温かい感触を感じて視線を落とした。ニワが俺の脚にもたれて眠っている。チヨの様子を見に行きがてらニワを届けてやろうと抱き上げてやると、半目を開けたニワが俺を見上げながら「ククククク」と全身を小刻みに揺らして気持ちよさそうに鳴いてから再び眠りについた。
チヨの部屋の前に立った俺は軽くノックをした。
「ニワを届けにきた」
部屋の中から「あ……そういえばニワさん……」と大きな独り言が聞こえた後ドアが開いた。
クチバシを僅かに動かし、むにゃむにゃとさせて気持ちよさそうに寝ているニワを差し出すと、チヨは「ありがとう」とニワを両手で大事そうに受け取った。
ニワをそっと抱きしめたチヨは、自らの傷心を癒やすかのごとく目を閉じてニワに頬ずりをした。
そんなチヨに俺は問いかけた。
「倫之介のことか……?」
チヨはニワへの頬ずりをやめて俺に視線を向けた。目が涙ぐんでいる。何も言わないチヨに俺は続けた。
「元気がないのは倫之介が原因なのか?何があった?」
しばし沈黙した後「そうだな……清四朗はきっと恋愛経験が多いだろうから何か答えが出るかも知れない……」と大きな独り言を言ってから話し始めた。
内容はチヨの友人も倫之介のことが好きで、倫之介と結婚出来なければ死んでしまうかも知れないというものだった。
友人とは松尾瑞代のことだろう。チヨに人間の女友達は彼女しかいない。
「あたしはどうすればいいのだ?倫之介のことを好きと思うことが悪いことのようにも思えてきてすごく苦しい……」
訴えるような声で言うチヨに俺を言葉を詰まらせた。
そんなのに罪悪感を覚える必要は無いし、両思いなら仕方ないだろ。というのが俺の意見だが、それを口に出すことが出来なかった。
しばしチヨと見つめ合いながら俺は、チヨが倫之介への気持ちに後ろめたさを感じていることや友達が死んだらどうしようという不安に煽られていることを考慮しており、口を衝いて出た言葉はこれだった。
「チヨが心から納得できる、後悔しない道を選んだほうがいい」
「後悔しない道……」
チヨは呆然とそうつぶやいて視線を斜め下の方へ落とした。
俺は拳を握りしめた。
これは懸けだ。
チヨの性格からいけば友達を選んで倫之介と別れる可能性はそれなりに高いが絶対ではない。だから懸けなんだ。
拳を解いた手でチヨの頭を優しく撫でながらささやくように言った。
「誰かの不幸の上に築いた幸せほど脆いものはない。チヨの良心に従えばいいだけの話だ」
ブーメランでしかないこの言葉は痛みを伴うものだった。だがチヨの心が揺らいでいるこの現状で、お人好しでいられるほど俺は優しい人間では無かった。
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