倫之介の追憶・14

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倫之介の追憶・14

 僕はチヨちゃんを探しながら街を走り抜け、清四朗くんの家の前まで来ていた。  息を切らせた僕は暑くて襟巻きを取ると、玄関のドアを叩きながら叫んだ。 「すみません!チヨちゃん帰ってますか!?」  家の中から「コッコッ」というニワトリの声に次いで「はい」とかやさんの声がして、廊下を歩く足音が近付いてきた。  ドアが開くと不思議そうな顔をしたかやさんが姿を見せた。  僕は焦りながら再度問いかけた。 「あの……っ、チヨちゃん帰ってますか……?」  かやさんはしばし僕の顔を見上げたまま目をパチクリとさせていたが、「あ……」と小さく声を漏らした後、僅かに口角を上げて静かな声で言った。 「何があったのですか……?」 「……チヨちゃんが、瑞代さんを不幸にしたくは無いと……だから僕とは一緒になれないと言って喫茶店を飛び出して行ったんです……」  かやさんが憂いを帯びた表情になったのが分かった。 「……そうですか……。チヨは帰ってきてから部屋に閉じこもって出て来ないので何があったのかと心配しておりました。倫之介さんが来てくれたことは伝えておきます。あの子が落ち着いたらまた倫之介さんさんときちんと話すように言いますので、それまで待って頂けますか……?」  僕は今すぐチヨちゃんに会って話をしたかったけど、それは無理だということは分かるので諦めてかやさんの言う通りにすることにした。 「……分かりました……。また来ます……」  握り締めていた拳を解いた僕はかやさんに背をむけようとした。かやさんが「あ……」と僕を引き留めるように声を漏らした後に言った。 「チヨが落ち着いて倫之介さんと話せる状態になったら手紙を書きます。それまで待って頂けませんか?チヨが落ち着くまでの間はきっと来て頂いても逆効果だと思いますので……」  僕は再度かやさんと顔を見合わせ、一瞬お互いの目を探るように見ていた。チヨちゃんが落ち着くまでというのは、きっと3日後とか1週間後とか、そう遠くない日を想像していた。 「……そうですね。そうします。住所は分かりますか……?」 「はい。必ず連絡します」  僕は無理やり笑顔を作ると、かやさんに会釈をしてその場を去った。  トボトボと1時間の道のりを歩きながら考えていた。  帰ったら今日こそは瑞代さんにハッキリと言おう。僕には婚約者が居て瑞代さんを好きになることは絶対に無いと。たとえうたさんに邪魔されようとも押し切って言うんだ。  そう心に決めて松尾商会に戻ると、瑞代さんとうたさんが外壁のコンクリートや戸に貼り付けてある板を雑巾で拭いていた。 「……大掃除ですか……?」  二ヶ月前の暮れに僕は大掃除をしていなかったので、汚かったのかと申し訳ない気持ちになった。  僕に気付いた瑞代さんが目を輝かせて生き生きと「お帰りなさい!」と言ってから言葉を継いだ。 「お父様とお母様が帰って来たときに少しでも気持ち良く過ごして欲しいから綺麗にしておこうかと思って」  僕は何も言えなくなった。    旦那様も奥様も亡くなっているから帰って来ることはないのに瑞代さんは生きていると信じて疑わない。というより、少なくても奥様が地震で家具の下敷きになったことは知っているはずで、恐らく亡くなっていることを本当は分かっているはずだ。  うたさんがこの前僕に言ったことが脳裏を過ぎった。 『お嬢様は今心を壊していてご両親が亡くなっていると分かっているのに帰って来ると本気で思い込んでいます……!!!』 『わたしもいつかは結婚せねばならず一生お嬢様の側に居ることは出来ません!!!そうなればお嬢様は独りぼっちになってしまい、下手をしたら命を絶ってしまう危険性もあります!!!』  僕の心が痛んだ。  しかし一方でこうも思った。  うたさんはチヨちゃんと僕を引き離すために大げさに言っただけではないのだろうか?  どちらにしよ僕に瑞代さんを救うことは出来ない。  僕が守らなくてはならないのはチヨちゃんとの幸せなんだ。  僕は再び意を決した。 「瑞代さん、ちょっと聞いて欲しいことがあるのですが」  うたさんがすかさず「わぁぁぁぁぁ!!!」と大声を出したかと思うと、続けて「お嬢様!!!雨が降って参りました!!!家に入りましょう!!!」と、瑞代さんの背中を押して玄関ドアの中に入ろうとした。 「え?雨……?」  快晴の空を見上げた瑞代さんが不思議そうにそう言いながらうたさんに押されて玄関に入っていった。いつもの僕ならここでたじろぐのだが、今日の僕は違った。 「瑞代さん……!!僕には婚約者がいるんだ……!!だから例え天と地がひっくり返ったとしても瑞代さんの想いに応えることは出来ない……!!」  瑞代さんは驚いたような傷付いたような表情をした。それを見た僕はハッとして怖じ気づいた。  うたさんの顔が怒りに満ち、僕のほうへずんずんと力強い大股歩きで近付いて来るなり、僕の頬を思いっきりひっぱたいた。  瑞代さんは慌ててうたさんに言った。 「何てことするの!!倫之介さんは何もしてないじゃない!!」 「お嬢様にひどいことを言いました!!」 「ひどいことではないわ!!倫之介さんは婚約者が居るって言っただけじゃない!!」  瑞代さんは僕に駆け寄ると「大丈夫?」と目を潤ませていた。  彼女の目に溜まっているその涙は、自身が傷付いたからなのか、僕を心配してのことなのかは分からなかった。 「大丈夫です」 「頬が赤くなってる。中で冷やしましょう」  瑞代さんは僕の服の裾を引っ張って松尾商会の中へ入るように促した。  歩き始めた僕の背後でうたさんが小声で言った。 「わたしは明日の日曜日にお見合いに行きます。お嬢様にも相手の返事次第では結婚すると伝えてあります。気丈に振る舞っていますが、わたしが居なくなるかも知れないと知り、とても寂しそうでした。何かあったら倫之介さんのせいですからね!!」 『僕のせいではないだろ』と言ってやりたかったが、すぐ前に瑞代さんが居たため、押し黙った。 「今日の晩御飯は倫之介さんの好きな物にしましょう。何がいいかしら?」  空元気に問いかける瑞代さんに僕は何も答えることが出来なかった。  それでも僕は間違ってないとこの時は思っていた。  まさかあんなことになるとは思いもしなかったんだ。
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