清四朗とチヨ・4

1/4
前へ
/72ページ
次へ

清四朗とチヨ・4

 風呂から出た俺が台所へ行くと、チヨの母親の話し声が聞こえてきた。 「今そうして苦しんでいるのなら、倫之介さんとは離れた方がいいのかも知れません」    俺は思わずドアの前で立ち止まった。  チヨの母親は言葉を継いだ。 「今日チヨが倫之介さんに『瑞代さんの側に居てやって欲しい』と言って食事をせずに逃げ出したということが答えじゃないのですか?」  それからしばらく沈黙が続いていた。  今日チヨの様子がおかしかったのは倫之介と会っていたからか。  チヨが倫之介に惚れていることは分かっている。だが2人が一緒に居ることを想像するだけで言い知れぬ嫉妬が湧き上がった。  会話の内容からチヨの母親もチヨと倫之介を別れさせるつもりのようだということが分かる。この機を逃してなるものか。  今チヨが何も答えられないのは倫之介を吹っ切ることが出来ないからだろう。  俺は何も聞いてないふりをして台所に入った。しかしチヨの母親は俺が聞いていたことに気付いているかのごとく、食事が終わると俺に「明日予定が無ければチヨをどこかに連れて行ってやってくれませんか?」と、意味深な微笑を浮かべて言った。  明日は洋太の祖母ちゃんの家で大根掘りがある。それを伝えるとチヨの母親は俺にニッコリと微笑んで「チヨを宜しくお願いします」と頭を下げた。  倫之介が駄目だから俺にしようと決めたのだろう。男を吟味して天秤にかけるこの女は間違いなく悪女だ。だがそんなことはどうだってよかった。チヨが手に入るならなんだって構わない。  俺はいつしかそう思うようになっていた。  翌日、洋太の祖母ちゃん家に朝の7時に集合だった為、6時30分に家を出た。大根彫るのに学校へ行くよりも家出るの早いとかありえねぇだろ。  俺があくびをしながら自動車の運転席に乗り込むと、手土産のおはぎが入った大きな風呂敷包みを抱えたチヨが元気よく隣りの席に駆け込んできた。張り切っているチヨはモンペ姿に手ぬぐいをほっかむりしている。 「大根彫るの楽しみだな!」  目を輝かせるチヨに俺の心臓は高鳴った。  まぁ、早朝から大根掘りも悪くねぇか。 「ああ、そうだな」    ソワソワといているチヨを乗せて俺は自動車を出発させた。  浮かれているはずのチヨは自動車の中で喋り続けるものだと思っていたが、思いのほか真顔でぼんやりと窓から空を眺めていた。  まぁ、だろうな。倫之介のことがあるからな。  俺はあえて明るく話しかけた。 「なぁ、あの雲ニワに似てねぇか?」 「え?ニワさん?」  チヨは前方の、俺の目線の先にある、まだ橙色の空に視線を向けた。 「おお!似てるな!その横の雲もニワさんに似ている!ニワさんがいっぱいいるな!」  チヨは空と雲が好きだ。うれしそうに、ニワに似てるようなそうでもないような雲の数を数えていた。  洋太の母方の祖母である婆さんの家は農家でデカい土地を持っている。  洋太の家から歩いて15分くらいのそこには小学生のときに何度か邪魔したことがあり、今日婆さんに会うのは久しぶりだった。 「おお、清四朗か。大きくなったな」 「どうも。ご無沙汰してます」  軽く会釈する俺に、婆さんは日焼けが染みついた黒い顔であどけない笑顔を見せた。  婆さんは、そのまま俺の隣りに立っているチヨに視線を向けた。 「おお、これはまためんこい嫁こだな」 「あたしは嫁こではない」 「おお、そうか。じゃぁ、早速嫁こにも大根掘りをしてもらおうかね」 「あたしは嫁こではない」    婆さんはチヨを連れて大根畑の中へと入っていった。    俺は洋太に話しかけた。 「婆さん相変わらず人の話聞かねぇな」 「まぁそれが長生きの秘訣だろうね」  洋太は全く気にしてないといった笑顔でそう答えると、「俺たちも行こう」と、婆さんとチヨに続いて畑に足を踏み入れた。  
/72ページ

最初のコメントを投稿しよう!

63人が本棚に入れています
本棚に追加