62人が本棚に入れています
本棚に追加
チヨは百貨店に入ってすぐに「あたしは昔ここでクビになった」と悲しそうに言いながらも、知っている店員が誰も居ないことを受けて、震災で亡くなったのでは無いかと心配していた。
どの服がいいのか分からないと言うチヨに、俺は白ブラウスに深緑のスカートと焦げ茶色のコートを選んでやった。ついでに髪飾りも買ってやると、気の利く店員がチヨの髪を簡単に結ってくれた。
やはりチヨは綺麗だ。
俺もチヨと釣り合う焦げ茶色のスーツとコートを買って着替えると、そのまま百貨店の出口へと向かった。
周りの奴等の視線は俺とチヨに集まっているのが分かる。チヨの魅力は見た目だけは無いが、それでも俺は誇らしげにチヨを連れて歩いていた。
たかが喫茶店と野原に行くには張り切り過ぎだがデートなんだからこれくらい着飾ってもいいだろう。
百貨店を出ると11時を回っていた。
「どうする?ちょっと早いが飯食いに行くか?」
「おお。今日は久しぶりにお腹が空いている。ポークカツレツが食べたい」
食欲があると言うチヨに多少の安堵を覚えた俺の頬が緩んだ。
「じゃぁ、ポークカツレツが美味い喫茶店へ行くぞ」
自動車の助手席に乗り込んだチヨは「おお!」と嬉しそうに返事した。
食欲が出たことは良いことだが、それで倫之介のことが吹っ切れた訳ではないことは分かっている。チヨがふとした瞬間に見せる表情には陰りがあるし、ずっと好きだった相手を簡単に忘れることが出来ないことはよく知っている。
食事を済ませると、チヨを連れて再び田舎の方へと自動車を走らせた。
空は青く透き通り、雀たちが気持ちよさそうに鳴きながら飛んでいる。
チヨが空を見ながら嬉しそうに言った。
「ニワさん雲がいっぱいだ!」
俺はチラッと空を見た後、どれがニワの雲なのかは分からなかったが「そうだな」と、再び前方に視線を戻して運転しながら返事をした。
やがて広い野原に到着すると、チヨは「わーい!野原だ野原~!」と自動車から飛び出して野原を駆けずり回った。
しかしそのはしゃぎ方はいつもとは違い、どこか無理をしているようにも見えた。
チヨの後ろからゆっくりと歩いていると、チヨは野原の奥にある山向かって走っていった。
「山に入るなよ!」
チヨは俺に背を向けたまま「わかった!」と返事をするなりそのまま山の中へと駆け込んでいった。
俺は慌ててチヨを追って走り出した。
「入るなっつってんだろ!」
山は奥へ行くと迷って帰れなくなる危険性がある。俺は全速力で走ってチヨに追いつき腕を掴んだ。
「危ねぇだろ!なんで入った!?」
「清四朗が山に入れと言った」
「入るなっつたんだ!」
そのとき、俺の視界に赤いヒールの靴を履いた女の脚が飛び込んできた。長く伸びた雑草の茂みから伸びているそれは地面に横たわっていた。何故こんな場所に女が居るんだと思いながらも、俺は草を掻き分けた。
チヨが俺の後ろから覗き込んだと同時に驚いた声を出した。
「瑞代ちゃん……!?」
松尾商会の娘は山には不釣り合いな綺麗な白いコートに赤いスカートを身にまとっている。よく見ると顎の下の部分に薄くアザが出来ていた。
俺は娘の上のほうに視線を向けた。輪にした部分が切れたロープが木の枝から垂れ下がっている。
倒れている娘の肩をチヨは揺すった。
「瑞代ちゃん!!!どうしたというのだ!!?しっかりするのだ!!!」
俺はチヨの隣りにしゃがんだ。
「貸してみろ」
そう言って揺すっているチヨの手を掴んだ。
俺を見たチヨは泣き出しそうな顔をしていた。俺は娘の手首を押さえて脈を確認した。動いている。ホッとしながらもすぐに抱きかかえた。
「病院に連れて行くぞ」
「おお!!!そうだな!!!」
チヨは娘を抱きかかえて歩く俺の横で娘に声をかけ続けていた。
「瑞代ちゃん!!!今病院に行って助けてもらうからな!!!がんばってくれ!!!」
大倉家御用達の病院へ連れて行くと、日曜だったが幸い医者が在宅していて診てもらう事が出来た。
「命に別状は無いようです」
それを聞いたチヨは安堵の吐息をついた。
「よかったぁ!!」
「首つり自殺を謀ったが失敗したようですね」
「自殺!!?なんで!!?」
驚くチヨに医者は落ち着いた声で答えた。
「それはご本人様に聞いてもらわないと分からないです。念のため他に異常が無いか検査をしておきましょう」
そのとき娘が目を覚ました。医者と俺とチヨを見回すと虚ろな声を出した。
「おチヨちゃん……?」
最初のコメントを投稿しよう!