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「そう。ありがとうね。大学行くためには学校で1番の成績にならないとね」
「はい。この前の経歴簿は体操以外は9か10でした。次は全部10になれるように頑張らないと」
かやさんの表情から微笑が消え、一瞬目を丸くさせたかと思うと嬉しそうな笑顔を見せた。
「すごいじゃない!本当に大学に行けそうだわ!」
「そうだ!りんのすけはすごいんだ!」チヨちゃんが自慢げに横から口を挟んだ。
「はい。頑張ります」
「篤志家には心当たりがあるの!もし6年生になったときに10が多かったら書生になれるように取り持ってあげる!」
「ありがとうございます」
「でももったいないわね。せっかく大学行くのに画家だなんて」
「画家でも生きている間に成功した人はいます」
かやさんはさっきまでの嬉しそうな笑顔からただの微笑に表情を戻した。
当時まだ幼かった僕は漠然と大学にさえ行けば画家としても成功するような気がしていた。記憶力はよかったので勉強は少し頑張ればいい成績を取ることができたけど、肝心の絵に関しては、ただ自分の好きな絵だけを描いていて、学校で習う以外の知識は持ってないし学ぼうともしなかった。それでも才能があれば違っていたのだろうけど、周りの子どもたちよりも少し上手いという程度で、世間には通用しないということをまだ知らなかったのだ。僕は基本的に自分に甘いところがあった。
僕の隣りに座っているおじさんが笑いながら言った。
「坊主が画家で成功する頃にはチヨちゃんは他の金持ちと結婚してるかもな」
するとチヨちゃんが「それはない」と答え、おじさんは「そうか」と流すように笑いながら言うとコーヒーをすすった後続けた。
「もし大学卒業できたなら画家なんかよりデカい企業に勤めたほうがいい暮らしが出来る。だが坊主が若いうちに画家で成功する可能性もゼロではないしな。そもそも画家を目指すなら大学に行く必要などないだろ」
黙って食器を洗っていたかやさんが口を開いた。
「大学へ行くのはチヨとの約束です」僕に視線を向けると「ね?」と笑顔で首を傾けた。
その後間もなくおじさんは仕事に戻ると言って店を出て行った。かやさんはそれを待っていたかのように、おじさんを見送ってすぐに「そうそう」と言いながらカウンターの下からコップ一杯分くらいの黒い液体が入った瓶を取り出した。
「これ何だと思う?」
問いかけるかやさんにチヨちゃんは「墨!!」と元気よく答えた。かやさんは微笑を浮かべながら少し得意げに言った。
「不老長寿のジュースです」
「ふろうちょーじゅ!」
「甘露、無花果、桃、その他諸々、世界中で不老長寿になると言われる果実や薬草を併せたものなんですって。これは2人にあげるわね。2人で仲良く長生きできるように」
かやさんはグラスを2つ後ろの棚から取り出してジュースを注ぐと僕とチヨちゃんの前に置いた。
グラスの半分にも満たない量の黒いジュースは、においをかぐと果物の甘い匂いと薬草の渋い臭いが入り交じっていた。僕は飲むのが怖かった。チヨちゃんは目を輝かせて「いっただっきまぁす!」と一気に飲み干すと「おいしい!」と満面の笑みで大声を出した。それを受けて僕は安心しながらジュースを飲んだ。途端に吐き出しそうになった。匂いとは違い甘さは無く青臭い苦みのみが口の中に広がった。しかし、せっかく出してもらったものを飲まないという選択肢は無く、鼻の息を止めて一気に飲み干した。
「な?な?おいしいだろ?」
チヨちゃんが目を輝かせながら問うので僕は不味すぎてあふれ出そうになる涙をこらえて「うん」と頷いた。
かやさんは「本当に効けばいいんだけどね」とつぶやくように言いながら僕の反応に笑っていた。
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