瑞代の理想の君・1

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瑞代の理想の君・1

 わたしは松尾瑞代(まつおたまよ)。お父様は生地問屋の商いで成功をしていて、まぁ、それなりにお金持ちのお嬢様。一人娘だがらとても大事にされていて、欲しいものは何でも買ってもらえるの。女学校も楽しいし、今は春休みで大好きな読書に専念できるし、とても幸せだわ。ただ難点は、お父様が女にだらしなくて妾を囲っていることと、そのせいでお母様が精神を病んでいることくらいかしら。  食事が乗った盆を持った女中のうたが今日もお母様の部屋の前で立ち往生して困っている。 「奥様!どうか少しだけでもお食事をお召し上がりください!」  うたからすればお母様は1週間も食べてないことになるから心配になるわよね。けど大丈夫。その人は夜中に台所をあさって食べ物と飲み物を確保して部屋に持ち込んでいるから。ただお父様に心配してほしくて部屋に閉じこもっているだけなのよ。けれどもお父様はちっとも心配なんてしていない。それどころか鬱陶しそうにしている。  わたしはお母様みたいな人生を送りたくはない。たとえ貧しくてもわたしのことだけを愛してくれる人と結婚をするの。わたしの理想の殿方は『葉っぱの君』こと『青之介様』。『葉っぱの純愛ブルース』という小説に出てくる主人公の相手役で貧乏人の荒くれ者。けれども本当は愛情深くて主人公ひとすじで、書生である彼は主の娘である主人公をいつも陰で守ってくれているの。  青之介様は学ラン姿にいつも葉っぱを咥えていて、でもある日その葉っぱがしおれていることに気付いた主人公が青之介様に新しい葉っぱを贈るのだけど、それが、かぶれの葉っぱだったの。かぶれの葉っぱだと分かっていながらも愛情深い青之介様は笑顔でお礼を言って咥えるの。そしたら瞬く間に唇がかぶれて腫れ上がり醜いお顔になってしまって。それでも青之介様はかぶれの葉を咥えることをやめなくて、その理由が主人公を悲しませたくないからだったの。嗚呼、なんて究極の愛、なんてロマンス。作家の名前はあまり有名じゃない佐々木栄之介。こんなに面白いのになぜ人気が出ないのかしら。そのときドタドタと廊下を走る音と女中のすえの声がした。 「お嬢様!旦那様がお呼びです!!」 「お父様が?まだ昼間なのに帰ってきたの?」 「はい!今すぐ居間へお越しください!!」  お父様がこんな時間に帰ってきてまでする話って何かしら?少々不安になりながら居間に入るとソファーに学ラン姿の知らない男子が座っていた。まだ小学生のあどけなさが残る彼は学生服に着られているといった感じがしたわ。  白い背広に白い中折れ帽をかぶったお父様は少し太り気味でお腹が出ている。お金が無ければお母様はとっくに家を出ているだろうし、妾を持つことも出来なかっただろうなといつも思う。  1番奥にある1人用ソファーにズデンと座っているお父様はわたしに手招きをした。 「もっとこっちに来なさい。紹介する。彼は今日から我が家で書生として働くことになった佐々木倫之介くんだ」  あどけない顔をした彼は学生帽を両手で持ったまま立ち上がると背筋を伸ばし、わたしに一礼した。 「初めまして。佐々木倫之介と申します。大学卒業までの10年間、書生としてお世話になることになりました。よろしくお願いします」  幼い見た目に相反して礼儀正しくしっかりしている印象を受けたわ。それよりも佐々木倫之介ってわたしの大好きな小説家とそっくりな名前じゃない。それによく見るとお顔が『青之介様』に似ているわ。 ――キリッとした凜々しい眉にクリッとした大きな目。細い顎に長いまつげは女性のようでもありどこか色情を感じさせる。(葉っぱの純愛ブルースより)――  え?青之介様が本から出て来てわたしを迎えにいらした……?まさか……!?
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