287人が本棚に入れています
本棚に追加
ここがお勧めなんだと言われて早坂に連れてこられたのは、住宅地の中にある、木々に囲まれた静かな一軒家カフェだった。
この店は知ってる。この辺りのエリアでは有名な行列必須の人気店だ。
「ちょうど予約した時間だ」
早坂はスマホで時間を確認して、行列の先頭に行くと店員に予約画面を見せる。店員は「お待ちしておりました」と俺と早坂を案内してくれた。
「早坂予約してたの?!」
「うん。だって並ぶと二時間は待たされる。それだと乃木も疲れるだろ?」
なんとスマートな男だ。できる男はこういうところまでできるのかと、俺は敗北感に苛まれた。
席について、注文するのはもちろんこの店一番人気のアニバーサリータルトだ。季節に合わせたフルーツとともに、日付の入ったチョコプレートがついてきて、それが記念日をお祝いするときに可愛く映えると人気の商品なのだ。
注文し終えた後、隣の席から五歳くらいの女の子のわめき声が聞こえてきた。
つい耳をそば立ててみると、アニバーサリータルトを食べにきたのに本日分は売り切れになったと店員に言われて「嫌だ! どうしても食べたい!」とゴネているようだ。
それを見てすぐさま早坂が立ち上がった。
「あの俺、さっきそのタルトを頼んだんですけど、あの子に譲ることってできますか?」
「あ、はい……お客様の分で最後でしたから……」
「じゃあお願いします。俺はそうだなぁ、チーズケーキにします」
早坂の申し出を聞いて、女の子は目を輝かせた。女の子の母親も「いいんですか?!」と驚いている。
店員まで「他のお客様にお気遣いありがとうございます」と早坂に礼を言っている。
散々感謝されてから席に戻ってきた早坂は「待たせてごめん」と俺に謝った。
「いや、全然待ってない……」
ほんの数分の出来事だし、なにより早坂はめちゃくちゃいい奴だなと感心してしまった。
「待ってない、か……」
なぜか早坂はしゅんと落ち込んでしまった。どうしたんだろうと声をかけようとしたら、早坂から「そうだ、この前、波田野がさぁ」と話題を振ってきた。
早坂の話は面白い。学校では無口に思えてたけど、実は波田野や蓑島とか、仲のいい奴らとはよく喋っていたのかもしれないな。
ケーキが運ばれてきて、俺もなんとなく周りにつられて写真を撮った。
記念日といえば、今日は記念日だ。
早坂との初デート記念日。
って、違う! 俺は何を考えているんだ!
タルトを食べてたら、妙に目の前の早坂から「可愛い……」と視線を感じる。
あ、そうか。早坂も本当はアニバーサリータルトを食いたかったんだもんな……。
「……あ、のさ、早坂、ひと口食う?」
俺がスッと早坂のほうにタルトの皿を向ける。半分くらい食べてから気がついたから俺の食べかけだけど。
「いいの?!」
早坂は身を乗り出すくらいの勢いで食いついてきた。うっわこれ、相当食べたかったんだな。
「こっち食いかけだけど、後ろから食べて——」
「ありがとう乃木!」
早坂は堂々と俺の口をつけたほうにフォークを突き刺し、ひと口パクリと食べた。
なんて奴だ、そっち食ったら間接キスになるだろ……。
「どう? 美味い?」
「うん。幸せ過ぎて泣きそうなくらいに美味い」
「えっ? そんなに?!」
そんなに好きならと、「残りもあげるよ」と言ったら「大丈夫。もう俺の夢は叶ったから」と早坂はひと口だけで満足したらしい。
最初のコメントを投稿しよう!