天使の人形

2/2

16人が本棚に入れています
本棚に追加
/191ページ
 休む暇なく椅子、机が投げられる。しかしそれも、当然のように蹴り落とされた。  次あの足に当たれば、偽物の体はたとえ死ななくてもひとたまりない。だがその心配は無さそうだ。糸を使いさえすれば、距離は保てる。  しかしいくら何かをぶつけても相殺される。これではキリが無いが、人形の顔は勝気に笑っている。 「!」  リーラは手がクンッと引っ張られるのを感じた。いつの間に仕掛けたのか、何十もの糸が両腕に絡んでいる。  そう、物が駄目なら本人を捉えればいい。 「操れるのが物だけだと思うな」 「ふむ、なるほど」  リーラは強度を確かめるように、軽く糸を引っ張った。人間の肌はきっと細切れになる。針金のような丈夫さだ。  しかし人形はゾッとするのを感じた。リーラの唇が、面白そうに引き上がったのだ。彼女は大きく足を開くと、腕を思い切り振った。そんな事をすれば腕が切れる。そう思ったのに、切れたのはシャツだけだった。糸から人形に伝わる皮膚は、まるで鋼の硬さ。  振られた事で一瞬緩んだ糸が、ピンと張る。その意味を理解した時には、人形の体はバランスを崩して宙を浮く。そのままの反動で、体はリーラの目前に引き寄せられていた。 「あっ……?!」  空中で身動きが取れない。人形は庇う真似すらできず、そのまま壁へ蹴り飛ばされた。  ボキリと、体の奥から骨の悲鳴を聞いた。体は座る形なのに、視界が真横に傾いている。 「くそ、化け物がっ」  人形は九十度傾いても悪態をつく余裕があるようだ。握った手に無数の羽根が見える。それが手から放たれるより、銃口から弾が飛ぶ方が早かった。赤い弾は数発、続けて発砲する。全て四肢を捉え、羽根は投げられる前に床にヒラヒラと落ちていく。 「無駄だ、俺は人形だぞ。死なんてない」  そう言って笑った顔が、不思議そうな表情に変わる。と思えばすぐに、人のような汗を浮かべ出した。反対に、リーラはいつもの笑顔を見せる。 「再生できないだろ? 特別仕様なんだ」 「は、あっ?」  人形は混乱と焦りに言葉を忘れる。傾いた視界に映る足が、一歩一歩近づいてくる。  リーラは人形の前でかがみ、耳元に囁く。 「主人の名は?」  首を横に振った体は震えていた。人形でも、ありえないと高を括っていた死は、怖いようだ。右目が黒く染まる。奥に赤い弾が見えた。歯の根が合わず、カチカチなる口を必死に動かして人形は叫ぶ。 「ほ、本当に知らない! 覚えていない!」 「ならいい」  言葉とは裏腹に、銃の引き金に置いた人差し指はあっさり引かれた。水気を含んだ爆発音が響き渡る。すぐあと、ドサリと重たい物が倒れる音がした。  引き金を引く前、由香里の視界を天の両手が隠していた。だから彼女は、何が起こったのか知らない。発砲音のせいで上げた鼓膜の悲鳴が治まった頃、ようやく目隠しは外される。  二人の足元に、コロコロとビー玉のような物が転がってきた。それは人形の目玉。持ち主は、葉巻を吸うリーラの横で崩れ落ちている。その姿はもう弟ではなく、ただの球体人形だった。 「怪我は無いか? ユカリ君」 「は、はいっ」 「私の心配は無し?」 「アマ君の事は信頼しているからさ」  ムスッとした天の顔が、その一言にまんざらでもない様子に変わる。  リーラの紫の目が、二人の体を確かめるように移動する。服の擦り切れすら無いと納得したのか、頷くとスマホを取り出した。聞かれたくないのか、天たちに背を向け、部屋の角で小さく話しかけている。 「ねえ、天さんってリーラさん好きなの?」 「えっ? んなわけないじゃん! あ、いや、まあ、悪いやつじゃないし? 友達でいる分には損はないっていうか」  友人関係という事だけに、ここまで否定と肯定を繰り返されたのは初めてだ。なんというか、彼女に対してだけ素直さが欠けるような気がする。  ふと、二人の間に人影が落ちる。そこを見れば、リーラがニコニコと天の弁明を聞いていた。彼はそれに気づくと、顔を真っ赤にさせて頬を引きつらせる。 「キミには既に、ワタシが入る隙の無いほどの人が居るもんね?」  そう言われると、天は目を逸らした。目は口ほどにものを言うとは、彼のために用意されたような言葉だ。 「ところでユカリ君。もう少しで警察がやってくる。その間、アマ君と外で待っていてもらえないだろうか? なんなら、近くでお茶をして来てもいいよ」  由香里は被害者であるため、知る権利がある。しかし同時に、全てを教える事もできない。それは今後訪れる普通の幸せを守るためでもあった。  素直に頷いた由香里は、天と共に家を出る。天の提案で、近所の和菓子屋に行く事になった。
/191ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加