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休む暇なく椅子、机が投げられる。しかしそれも、当然のように蹴り落とされた。
次あの足に当たれば、偽物の体はたとえ死ななくてもひとたまりない。だがその心配は無さそうだ。糸を使いさえすれば、距離は保てる。
しかしいくら何かをぶつけても相殺される。これではキリが無いが、人形の顔は勝気に笑っている。
「!」
リーラは手がクンッと引っ張られるのを感じた。いつの間に仕掛けたのか、何十もの糸が両腕に絡んでいる。
そう、物が駄目なら本人を捉えればいい。
「操れるのが物だけだと思うな」
「ふむ、なるほど」
リーラは強度を確かめるように、軽く糸を引っ張った。人間の肌はきっと細切れになる。針金のような丈夫さだ。
しかし人形はゾッとするのを感じた。リーラの唇が、面白そうに引き上がったのだ。彼女は大きく足を開くと、腕を思い切り振った。そんな事をすれば腕が切れる。そう思ったのに、切れたのはシャツだけだった。糸から人形に伝わる皮膚は、まるで鋼の硬さ。
振られた事で一瞬緩んだ糸が、ピンと張る。その意味を理解した時には、人形の体はバランスを崩して宙を浮く。そのままの反動で、体はリーラの目前に引き寄せられていた。
「あっ……?!」
空中で身動きが取れない。人形は庇う真似すらできず、そのまま壁へ蹴り飛ばされた。
ボキリと、体の奥から骨の悲鳴を聞いた。体は座る形なのに、視界が真横に傾いている。
「くそ、化け物がっ」
人形は九十度傾いても悪態をつく余裕があるようだ。握った手に無数の羽根が見える。それが手から放たれるより、銃口から弾が飛ぶ方が早かった。赤い弾は数発、続けて発砲する。全て四肢を捉え、羽根は投げられる前に床にヒラヒラと落ちていく。
「無駄だ、俺は人形だぞ。死なんてない」
そう言って笑った顔が、不思議そうな表情に変わる。と思えばすぐに、人のような汗を浮かべ出した。反対に、リーラはいつもの笑顔を見せる。
「再生できないだろ? 特別仕様なんだ」
「は、あっ?」
人形は混乱と焦りに言葉を忘れる。傾いた視界に映る足が、一歩一歩近づいてくる。
リーラは人形の前でかがみ、耳元に囁く。
「主人の名は?」
首を横に振った体は震えていた。人形でも、ありえないと高を括っていた死は、怖いようだ。右目が黒く染まる。奥に赤い弾が見えた。歯の根が合わず、カチカチなる口を必死に動かして人形は叫ぶ。
「ほ、本当に知らない! 覚えていない!」
「ならいい」
言葉とは裏腹に、銃の引き金に置いた人差し指はあっさり引かれた。水気を含んだ爆発音が響き渡る。すぐあと、ドサリと重たい物が倒れる音がした。
引き金を引く前、由香里の視界を天の両手が隠していた。だから彼女は、何が起こったのか知らない。発砲音のせいで上げた鼓膜の悲鳴が治まった頃、ようやく目隠しは外される。
二人の足元に、コロコロとビー玉のような物が転がってきた。それは人形の目玉。持ち主は、葉巻を吸うリーラの横で崩れ落ちている。その姿はもう弟ではなく、ただの球体人形だった。
「怪我は無いか? ユカリ君」
「は、はいっ」
「私の心配は無し?」
「アマ君の事は信頼しているからさ」
ムスッとした天の顔が、その一言にまんざらでもない様子に変わる。
リーラの紫の目が、二人の体を確かめるように移動する。服の擦り切れすら無いと納得したのか、頷くとスマホを取り出した。聞かれたくないのか、天たちに背を向け、部屋の角で小さく話しかけている。
「ねえ、天さんってリーラさん好きなの?」
「えっ? んなわけないじゃん! あ、いや、まあ、悪いやつじゃないし? 友達でいる分には損はないっていうか」
友人関係という事だけに、ここまで否定と肯定を繰り返されたのは初めてだ。なんというか、彼女に対してだけ素直さが欠けるような気がする。
ふと、二人の間に人影が落ちる。そこを見れば、リーラがニコニコと天の弁明を聞いていた。彼はそれに気づくと、顔を真っ赤にさせて頬を引きつらせる。
「キミには既に、ワタシが入る隙の無いほどの人が居るもんね?」
そう言われると、天は目を逸らした。目は口ほどにものを言うとは、彼のために用意されたような言葉だ。
「ところでユカリ君。もう少しで警察がやってくる。その間、アマ君と外で待っていてもらえないだろうか? なんなら、近くでお茶をして来てもいいよ」
由香里は被害者であるため、知る権利がある。しかし同時に、全てを教える事もできない。それは今後訪れる普通の幸せを守るためでもあった。
素直に頷いた由香里は、天と共に家を出る。天の提案で、近所の和菓子屋に行く事になった。
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