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それから玻璃が目覚めたのは夜中。時計を見る余裕が無かったから確かではないが、消灯しているのは分かる。
体が──心臓が熱い。手足は凍えるほど寒いのに、どうしてか激しく脈打つ胸の奥だけは熱かった。体が痙攣を起こす。玻璃は頭でパニックを起こしながらも、冷静にナースコールを押した。
ああ、やっぱり薬の副作用が起きたんだ。このまま死ぬんだ。
終わりを示すように暗くなる視界に、何故か恐怖ない。そのまま玻璃は目を閉じ、ベッドの中に眠るように倒れる。
すると、役目を果たして力なく垂れた腕から、暗闇では輝いて見えるほどの純白な羽が落ちた。
玻璃は夢を見た。目の前は空虚。闇のようでいて、闇ですらないと分かる場所。目を開けている感覚が無ければ、閉じているとも言えない。そこでは、自分の体さえ分からなかった。
何かが目の前に居る。人じゃないのはなんとなく理解した。ソレには口なんてないのに、どうやってか話しかけてきた。
──お前は幸せが欲しい?
玻璃は少しだけ疲れたようにだが、突拍子もない問いに本能的に頷いた。
──大丈夫。私が目覚めれば、楽園ができる。そうすれば、お前も幸せになるよ
楽園? よく分からない。幸せになれるのなら、そこに行きたい。けれど、そこには腐ってない食べ物はあるのだろうか?
頭なんて無いのに、それが不思議そうにかしげたのを感じる。
──腐ってない食べ物?
心を読んだのか、ソレは言葉を知らない赤子のようにおうむ返しする。
その楽園には、優しい笑顔を向けてくれる誰かが居るだろうか? そこはどんな楽園だろう。
──楽園はみんな、眠りにつく。永遠に、幸せな夢の中で。だから争いもない。
楽園を創る事が、自分の生まれる意味だと教えられた。ソレは、困惑するようにそう言った。
たしかに、夢の中ならば甘美な世界に浸れる。けれどそれは、所詮は偽物。不幸も無ければ幸せも無いと同じ。現実に絶望していたが、生きていなければ……目覚めていなければ友達だってできなかった。
──ねえ、笑顔って何? 友達って何? どうして不幸が幸せなの? お前は世界を憎んでいないの? どうして現実をほしがるの? そんなの私は知らない。知りたい。教えて!
目なんて無いのに、ソレが泣きそうなのを玻璃は理解した。
ああ、お前は泣ける目も、笑える口も、誰かに触れるための手も、地面を踏むための足もないのか。
唯一の救いは、知りたいという心がある事。けれど肝心の肉体がなければ、幸せに触れる事はできない。
「じゃあ、俺の体をやるよ」
玻璃は優しく微笑むと、目の前のソレを抱きしめた。
─── ** ─── **
広々とした青い花畑が覆う庭に、木々が囲むそこは、誰もが写真に収めたいと思う幻想さがある。それでも幻想のあまりか、人の姿は無い。伸び伸びと佇む大木の横に、一軒家が立っていた。
穏やかな風が、半分開けた窓のカーテンをそよがせる。風は、窓近くのベッドの上に広がった黄金色の髪を優しく撫でた。
すぅすぅと寝息を立てる、部屋の主人。少しウェーブがかった髪の隙間から見える安らかな寝顔は、美しい天使のようだ。しかし寝息は途絶え、髪と同じ透き通る金のまつ毛が震え、ゆっくり開かれる。目蓋の下からは、特徴的な緑と金色が混ざった瞳が現れた。
少女はベッドから降りると、真っ白なワンピースを少し整えて部屋から出て行く。向かったドアから、老婆が現れて咄嗟に身を壁に寄せた。彼女は部屋の中に振り返って深く頭を下げる。それから少女に気づくと、皺の奥に隠れた目を優しく細めた。
「ごめんね、驚かせて」
少女は謝罪に首を横に振る。老婆はそれに笑顔で返し、玄関に向かっていった。
少女は視線だけで見送り、老婆が居た部屋のドアを開ける。そこには、カルテを書く男の後ろ姿があった。彼女はその背中をじっと見つめ、ようやく口を開く。
「ギヴァー」
鈴の鳴るような綺麗で小さな声だ。ギヴァーは振り返り、我が子にするように微笑みを向ける。
「おはよう、グレース。よく眠れたかい?」
「起きたよ」
「? うん、おはよう」
「違う。大天使。起きた」
ギヴァーは淡々とした声の綴った言葉に黒い目を丸くし、跳ねるように椅子から立ち上がる。その拍子に、木の椅子がガタンと床に倒れた。
いつもなら気にする粗相だろうが、彼は見向きせずグレースの前で膝をつく。
「場所は?」
「日本」
「ああ……ついに……! すぐ日本へ発とう。グレース、この世界は幸せになるよ。ノアを呼んでくるから、待っていてくれ」
グレースは恍惚な笑顔を浮かべるギヴァーにつられるように、可愛らしい唇を僅かに緩めた。
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