堕ちた男

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 女の切長の目が、さらにスッと細められる。光を含まない紫の瞳は、夜に溶けるアメジストのようだ。美しさに心を奪われそうになりながらも、男は声を荒げた。  たった数時間前に出会った彼女は、男を「新米君」と呼んだ。しかし口元に笑顔があれど、僅かに殺意が滲んでいた。だから、彼が逃げたのは本能的だ。  天使──宗教にでも洗脳されたと思うだろう? しかし違う。男は本物の天使に会った。あの、自らの命を絶とうとした夜に。そして力を手に入れたんだ。苦しめた相手に復讐できる力を。 「い、今更何なんだ! この力は、俺にくれたんじゃないのか?!」 「おいおい、勘違いしないでくれ。ワタシはアイツらの仲間じゃあない」  そう言って頭を振る彼女の声は静かだが、確かな嫌悪を感じた。アレらの関係者じゃなければ、一体何者なのか。  女は改めるように、背筋を伸ばして片足を少し引くと、大胆なフリルを施したドレスシャツが包む豊満な胸元へ手を添える。 「ワタシの名前はリーラ。日本のテンシ狩りで、代表をやらせてもらってるんだ。よろしく」 「……は?」  なんでもない自己紹介に、男はキョトンとする。しかしその単語は知っていた。テンシ仲間の噂話を、いつの日か小耳に挟んだ事がある。その名の通り、天使とテンシ化した人間を狩る組織。目を付けられる事を仲間は恐れていた。  男の顔はサッと青ざめる。その時は他人事だった。テンシは何十人も居る。だから、わざわざ自分の目の前になんて現れないと、すっかり油断していた。 「どうして俺なんだ? 他にもたくさん居るだろ! お、俺はただ、アイツに復讐をしたいだけだ!」 「復讐について、どうこう言ってるわけじゃない。悪いとも思わないしね」 「じゃ、じゃあ」 「被害者面は止したまえ。白々しい」  うわずって震えた言葉を遮った低い声に、男は肩を跳ねさせた。それまでどこか揶揄いを含んでいた紫の瞳が、氷のように冷たい。  リーラは足元で無造作に捨てられた段ボールに腰を下ろし、呆れるように溜息をつく。そして黒い手袋に包まれた長い指を、八本立てた。 「これは、キミが殺した数だ。だが恨んだ上司は、確か一人だったね? 数が合わないのが不思議だと思わないかい?」  男は言葉を忘れたかのように、口を開け閉めし、空気を咀嚼する。  脳裏を駆け抜けるのは、肉を貫き裂く感触。そして、それまで穏やかだった表情が一気に絶望に落ちる、あの瞬間。絶叫、救いを求める声。偶然目の前にあった命が、いとも簡単に自分の手で潰れる感覚。それらは全て、男にとって快楽だった。
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