堕ちた男

3/3

16人が本棚に入れています
本棚に追加
/191ページ
「まったく……ただ殺す奴はそこら中に居るが、オマエのは質が悪いんだよ。人の趣味に口を出すつもりはないが、子供でのはどうかと思うがね?」  リーラは肩をすくめ、馬鹿にするよに、憐れむように鼻で笑う。男は怒りか羞恥、どちらとも言えない熱を溜め、赤くした顔をしかめた。  彼女の言葉はきっと、世間的には最もだろう。しかしそれを気にして縛られるのは、弱い人間がする事じゃないか。自分はそれから解き放たれる力を手に入れている。  そこまで考えて、男はふっと肩から力が抜けたのを感じた。今一度、冷静に自分に問いかける。そういえば、どうして彼女に怯えていたのかと。  たしかに本能的だった。しかし今思えば、全く恐怖が無い。むしろ恐怖する必要はないじゃないか。だって相手は女。いくらテンシ狩りで代表と言っても、所詮は男女の力の差は存在する。  男の口角が不気味に引き上がるのを、リーラは見逃さなかった。 「八人殺したって知って一人で来るなんて、ずいぶん大胆だな?」 「……キミみたいな奴に、可愛い部下を会わせたくないからね」 「なら俺は強運だ。あんたみたいな女を殺して犯せるんだからな!」  男は醜い笑みのまま、言葉と共に駆け出した。リーラはそれに対し、ゆっくりとした仕草で立ち上がる。  暗闇の中、天から降る唯一の光に反射する彼の両手には、十本のナイフ。それはただの刃ではなく、異様に伸びた爪だった。男の奇妙に引き上がった唇から見える牙に、吊り上がった真っ黒な目。少しずつ人の形から変わるその姿は、天使ではなく化け物が相応しい。 (か)  リーラは溜息とも言えない小さな息を吐く。彼女の首に刃先が触れるその直前、パンッと軽快でいて、鼓膜を強く刺激する音が響いた。  その一瞬の間だけ、男の視界はスローモーションになった。おかしい。確かに獲物を切り裂こうと向けていた手が、何故か背中へ行っている。そしてリーラの手は、何か虫でも払うようにかざされていた。 (はじ、かれた?)  全力で襲い掛かった腕が、呆気なく弾かれたのだ。しかも反動であらぬ方向へ行くほど、強い力で。  数秒と無かった出来事のせいで遅れてやってきた腕の激痛が、理解を促進させる。しかし男は余計に信じられなかった。だって、あの一瞬で腕の骨が折れたのだ。女の──人間の力じゃない。  男の喉奥から、恐怖によってひゅっと歪な音が鳴った。逃れようと体勢を変えたが、片腕の感覚が無くなったせいか、バランスを崩す。転びそうな体を支えたのは、リーラの手。まだ無事な腕を掴む手は男より華奢なのに、ミシリと音を立てた。 「八人殺したくらいでイキがるなよ、坊や?」  リーラはクスクス笑うと、男の背中を蹴り飛ばした。彼の体は一秒と掛からず壁に激突し、力無く地面に崩れる。動けない。呼吸ができない。背中に、穴が空いているのが分かった。  コツリコツリと鳴らしながら近付く足音が、遠退きかけた意識を引き止める。かろうじて、リーラへ視線だけを向けた。 「お、ま、えは……っ」  何なんだ。その問いは、喉に込み上がる血に溺れて言えなかった。それでもリーラには、男の言いたい事が分かっていた。同じような質問を、これまで何度も言われるからだ。だが、どうやら答える気は無いようで、男の前でしゃがむと、何も言わずに足のレッグポーチから銃を取り出す。  彼女は見た目の割に、大雑把な面がある。だから、繰り返された質問には、面倒臭さが勝ったのだ。それに彼はもうすぐ眠るのだし、答えても意味が無い。 「地獄の中でおやすみ」  優しい微笑みの直後、静かな街に銃声が轟いた。
/191ページ

最初のコメントを投稿しよう!

16人が本棚に入れています
本棚に追加