都橋探偵事情『箱庭』

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「こいこらっ」  痛がる佐々木の耳を引っ張りながら階段を上って行く。徳田は改札を出て映画街に戻った。浮浪者が鼻にティッシュを丸めて血止めをしている。唇が腫れあがっている。自転車を起こして空き缶集めに出発する。 「大丈夫ですか?」  浮浪者は腫れた目で徳田を見上げた。 「ああ、旦那、まだいたんですか?咳は止まりましたか?この時間が一番冷え込むよ、帰って温かくして寝た方がいいよ」  この状況で笑顔を見せる浮浪者に涙腺が緩む。 「これ、さっき悪党に巻き上げられた金だよ。取り返して来た」  浮浪者は不思議そうに受け取った。 「えっ、取り返したの?あの旦那は大丈夫ですか?金がなくて困ってたんでしょ。俺みたいな男に貸してくれなんて恥ずかしくて言えないからね。言ってくれれば全部上げたのに。俺は一日の食い扶持はちゃんと稼げるからいいんだけどね。あっそうだ、旦那はあの旦那に会うかい?」 「どうしてかな?」 「会ったらこれ渡してくれないかな、どうしても必要な用事があったんだろうから、無いと困っているかもしれないし」  徳田は腹が立った。この男にではない、この男の無垢のやさしさにである。探偵稼業は裏切りや騙し合いの中で生きている。こんなやさしさを持ち合わせている男がいることが許せなかった。 「あんな奴はほっとけばいい、野垂れ死にするのが性に合っている。あなたが稼いだ金だ、大事にした方がいい」 「駄目だよ旦那、俺はみんなを助けたいんだよ。俺がここで腹痛で苦しむ人を見過ごして、殺してしまったお詫びだよ。俺、お巡りさんと約束したんだ」 「じゃあ勝手にしろ」  徳田は札束を投げ付けて歩き出した。 「旦那、気を付けてね」  背に浴びせられた純情に悔しくて情けなくて涙が出て来た。  伊勢佐木中央署に戻ると高崎の取り調べが始まっていた。 「お前何で瑞穂ふ頭に来なかったんだ?」  小野田が額を小突いた。
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