都橋探偵事情『箱庭』

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「ば~か」  女が泣き声で悔しがった。この男は金融から金を借りて返さない。それも30万と言うそこそこまとまった金額である。十日分の利息を支払っただけでとんずらしている。男のヤサを探してくれとの依頼を受けた。金融屋は日ノ出町のやくざでお得意さんである。依頼金は安いが仕事量は多い。掛け持ちでやればそれなりの売り上げになる。  女から巻き上げた金はどう見ても2万である。逃げるならもう少し欲しい。恐らく明日のギャンブルに掛けて終わりだろう。男は川崎の映画街に足を踏み入れた。ポルノ映画三本立てに入る。土曜日だからオールナイトである。朝まで時間が稼げる。深夜になれば客もまばらになる。椅子を三脚倒して手摺の間に身体を差し込んで一眠りする。空いていれば劇場側も見過ごす。あちこちで煙草の煙も上がる。特に注意されることもない。依頼を受けてこの男を尾行しているのは都橋商店街に事務所を構える徳田英二である。男の後ろの席に座った。最前列の男が揺れている。自慰に耽っているのが一目で分かる。 「佐々木さん・・・佐々木さん」  徳田は声を掛けた。金融屋に電話一本入れれば依頼は終了である。しかし徳田には癖がある。どうしてこうなったのか裏の事情を知りたい。確認してから決める。事情次第では見逃すときもある。佐々木は徳田に気付いた。深く被るソフトの中に端正なマスクを見た。昭和62年、3月20日、冬に逆戻りしたような寒い日だった。徳田英二40代最後の年になる。佐々木は驚いて手摺に差し込んだ身体を引き抜いて立ち上がった。 「佐々木さん、表には5人いる。出て行けばそのまま地獄行きだ」  佐々木が座った。 「あんたは誰?」 「金をねこばばしたあんたを捜してくれと頼まれたもんだ。あんた次第じゃとぼけてもいい」  徳田は佐々木を見据えて言った。 「逃げるつもりはないんだ。だけど返す当てもない。土方でもやって稼ごうにも俺はヘルニアでさ。重いもん持てない」
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