都橋探偵事情『箱庭』

5/279

70人が本棚に入れています
本棚に追加
/279ページ
 ポルノ映画館を出ると零時を回っていた。逃げるつもりなら佐々木は1時間ほどで出てくるだろう。1時間過ぎても出て来なければ閉館までいるだろうと推測する。監視も中止するか手薄になるだろうと犯罪者の心理が働く。しばらくは持久戦。どうせ閉館の04:00には追い出される。便所から逃走することは出来ない。徳田は入館する前に確認していた。ラークを咥える、最後の一本、ケースを丸めてごみ溜めに投げた。道路の反対側に自動販売機を見つけた。自販にラークがない。しかたなくハイライトを買った。これからここで4時間佐々木を張る覚悟である。佐々木が退館するときに死角になる場所を探す。煙草だけが眠気覚ましであり寒さしのぎである。三軒先の邦画館の看板横を選んだ。夜風も遮られるしポルノ館出入り口からは完全な死角になる。封を切り一本抜いて咥えた。慣れないフィルターの味が吐気を催す。火を点け吸い込んだ。久々のハイライトに咽た。咳き込んでいると浮浪者が心配そうに徳田を見つめた。 「大丈夫かい?」  浮浪者が親しみのある目で心配した。 「よかったらどうぞ」  ハイライトを箱ごと差し出した。浮浪者は満面の笑みで受け取った。 「この辺にラークを置いてある販売機はないかな?」 「銀流会通りを少し行くと洋モク専門の販売機があるよ。ラークが入っているかどうかは分からないけど」 「ありがとう、これはお礼だよ」  徳田はコートのポケットからチップ用に用意してある千円札を二枚差し出した。 「旦那、ありがとう、盆と正月が一度に来たみてえだ」  徳田はソフトを揺らして銀流会通りに向かった。 「旦那、ありがとう」  徳田は振り返らずに手を挙げた。同年代、戦中戦後をどうやって生き抜いたのだろうか。底辺で這い蹲っていてもやさしさを持った男には感動する。 「旦那、ありがとう、気を付けて」  歩道を渡る徳田の背に駄目押しのエールが贈られた。  逃げ込んだのは深夜の山下公園である。 「やろう、どっちに逃げるつもりですかね?」 「お前ならどっちに逃げる?」  伊勢佐木中央署の刑事中西が小野田に質問した。
/279ページ

最初のコメントを投稿しよう!

70人が本棚に入れています
本棚に追加