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ともやんには、井上智也という名前がある。その親御さん、つまり井上さんトコのおっちゃんとおばちゃんは、俺のこともよく知っている。
むしろ東京に出て行った息子より俺の方が、会社帰りにばったり顔を合わせやすい。何せ同じ区に住んでいるのだから。
井上さんトコは昔から品が良くて、定年後もよく一緒にいるところを見るに、仲も良いご夫婦だ。
「ちゃうねん。なんも連絡する事あれへんねん。便りがないのは元気な証拠、ゆうやろ」
そんなご夫婦の息子さんは起き上がって、漫画を開いた状態で床に置くと、着替えに手を伸ばす。
ともやんが俺の家にいる間に貸すTシャツとジャージは、俺と弟が高校で使っていた体操服だ。
俺はまだしも、弟は社会人になってから急に太って、たまに会っても当時の面影はないくらいになっている。当然、ジャージが入るはずもない。ともやんは今でも細いから、こうして有効活用している。
「今回かて、吉池さんトコ泊まるー言うたらハイハイーて感じやで」
ともやんに井上智也という名前があるように、俺には吉池学という名前がある。
下の名前が何であれ、フルネームを名乗ると面白くないダジャレみたいになって、子供の頃はよくイジられた名前だ。
「けどそれ、言うてへんねやろ?」
仕事で神戸に行くと言えば、親元に顔を出すよう言われるに決まっている。
最近会ったおばちゃんが俺に聞いてきたという事は、今回の出張についても、本人から連絡が行っていないという事だ。俺もそれを知っていながら「今度来はるらしいですよ」とは言えない。
「言うたら帰ってきー言われるやろ。ほんで毎回毎回ああやこや言われて……かなんわ」
『吉池』と名前の入ったジャージを着た井上さんトコの息子さんは、否定も肯定もせず、右手で左足のすねを掻きながら言った。
「そんな事やろうと思たわ」
ともやんが何を考えているのか、俺には手に取るように分かる。そしてその逆もまた然りだ。
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