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「司祭様・・! 司祭様! 起きて下さい!」
神殿へ向かう丘の中腹に建てられた建物がある。ここは神殿の管理を行なっている司祭や神官らの居住部となっている。私達はここに忍び込み、ベッドで豪快にイビキをかく司祭様の頬を引っ叩いた。
司祭様は覚醒するなり、目を見開いて息を呑んだ。飛び起きかけたのをユミルに口を押さえられ、あえなくベッドへと押し付けられてしまう。目が覚めたら知らない人間が目の前にいるんですもの、そりゃあ恐ろしいですよね。みるみる青ざめる司祭様には同情を隠せません。
「驚かせてしまい申し訳ありません、司祭様。私は先日ブリタニア王立学園の郊外学習でお世話になった、ユンヴィ公爵家の長女クローディアと申します」
ぼろぼろの服ではあるが礼をしてみせると、司祭様は未だに顔色を青ざめさせながらも、おろおろと私とユミルの顔に交互に視線を送っている。先程の様なパニック状態ではないように思えた。ユミルに司祭様の口を押さえていた手を退けるように指示すると、司祭様は混乱からか、めちゃくちゃ声を上擦らせて言った。
「なっ、なっ、なぜ公爵家のおじょうさまがこのようなっ」
まぁ当然だわね。
「残念ですが火急の件にて、詳しい説明をしている暇は無いのです。貴方への要件は一つ。アリオーン聖鐘をお貸し頂きたいのです」
「神器を!? そんなの駄目に決まってるでしょう! ちゃんと事前に申請してもらわないとっ!」
そりゃ当然だわね。隣でユミルは懐から輝くあるものを取り出した。それは全て黄金で作られた、翼の生えた虎を模した天虎の紋様である。この紋はこの国の王を示すものであり、純金造りのその精巧な細工は、もし複製物を作ろうとしても相当な職人の腕と、また金額が必要であろう。私も初めて知ったのだが、王の密命を受ける影は、緊急事態に備えてこの様な特権が許されているらしい。
「陛下の許可は出ています。貴方は何も心配せず、ただ我々を神器の前に案内してくれればいい」
ユミルの言葉と天虎の紋様の前に、司祭様は口をつぐんで、秘蔵の隠し祭壇の鍵を取って来たのだった。
状況が変わったのは神殿へ続く大階段を登り切ったところだった。突然加えられた衝撃に私と司祭様は吹っ飛ばされ、地面へと叩きつけられる。それはユミルが、私達に体当たりした衝撃だった。
私が視線を戻したとき、ユミルは既に立ち上がり、背中の剣を抜いて身構えていた。丘の上に建てられたこの神殿からは、淡く藍色に染まり始めた天を見下ろして、まるで宙に浮かんでいるように眺めが美しい。その階段の先へ蛇のように逃げていく黒い靄が、一瞬だけ見えた気がした。
カツン、カツン・・と、登ってくる音がする。
そして階段の向こうに顔を出したのは案の定、夜と同じ色の髪をした、闇の王子の姿だった。
「ユ、ユリウス殿下っ・・」
そんな────あと少しなのに!
「クローディア様!!」
ユミルはこちらを振り向く事なく私の名を叫んだ。早く神器の所へ行け、そう言っているのだろう。私は一瞬躊躇うもすぐに立ち上がり、同じく呆然として転がっていた司祭様の手を引いて祭壇へと走った。
「なっ、なんでしゅかアレっ・・!?」
「いいから走って!」
状況を知らされていない司祭様があまりの恐怖に舌を震えさせているのを一喝し、私は全速力で神殿内へ走り込んだ。
棒状の武器を学園で失っていたユミルは、真剣を手にして殿下と対峙している。ぐずぐずしていてはどちらかが命を落とす事になりかねない────!
(なんとか時間を稼いで、ユミル・・!)
しかし私の願いは届かなかった。
音が鳴った。金属が地に落ちる音。それを聞いたとき、身を割くような不安が過ぎって、私は司祭様の手を取った。
「司祭様、お願いです────私の代わりにアリオーン聖鐘を鳴らしてください」
私は一瞬ぎゅっと力を込めた。そして司祭様とは別方向へと走った。先程ユミルと殿下が対峙していた神殿の外へ向かって。
「えぇぇぇーー!? どゆこと!? クローディア様ぁぁ!?」
「とにかく急いで!!」
後ろで情けない叫び声をあげた司祭様に向かって私は短い叱咤を送ると、出口に向かって一心不乱に駆け抜けた。
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