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2. 同行者
停留所には時刻表も何もなく、僕と泊野社長は雨の降りしきる山中に放り出された。先に女性客が一人降車した他は乗客はいない。去ってゆくバスは鬱蒼とした木々に隠れてあっという間に見えなくなり、エンジン音も吸い込まれた。
地図上で現在地を確かめようとしたがGPS信号が弱いらしく位置情報は表示できない。
「さっ。行くか」
社長は黒い蝙蝠傘を差してビジネス鞄を手にすたすたと斜面を上り始める。獣道にも等しい路だが、それなりに通行人がいるのか土は踏み固められ雑草は払われていた。
僕はiPhoneが撮影を開始したのを確認し、レンズが隠れぬよう胸ポケットに入れる。
「半信半疑でしたけど、下の街はあんなに晴れていたのに本当にここだけ雨ですね」
「偶然だろうと思うが……」と社長は前置きしながら、「もし村に着いて、万が一何かあったら、互いの身の安全の確保を最優先にしよう」と物騒な提案をした。
スーツのポケットから、じゃらりと小銭を取り出す。
「十円玉を落とすか」
「えー……っと?」
言葉の意図が汲めずに、小銭の他に、十枚以上はありそうな一万円札の束を凝視して沈黙する。
「何だ?」
「あっ、いえ……お札が雨に濡れますよ」
「おお、サンキュ。この先は何か異変を察知しても相手に教えてやれない局面があるかもしれないだろ? 危険を報せる合図を決めておくんだよ。妙な逸話がある村だからなァ、普通の場所じゃないに決まっているよ」
「わかりました。何かヤバいと思ったら十円玉を投げればいいんですね」
「そうしよう」
正直理解したようで理解していなかったが、社長はこの村にただならぬ覚悟を持って訪れたのだと薄ら察した。
その用件とは何だろうか?
紙幣の束を無造作にポケットに突っ込んだ社長の背に、おずおずと話し掛ける。
「僕は夏祭りを見に来たんです。笠之村ではお盆に先駆けて旧暦の六月半ばに鎮魂の儀を行うのだと、知人の知人から聞きまして。今年の祭りは今日だそうで」
社長はおもむろに道端に屈みながら「夏祭りぃ?」と首を傾げた。
「まァ祭りっちゃー、祭りか」
「やっぱり社長も夏祭りに参加しに? 半分仕事というのはトマリノ物流が協賛を?」
「そんなことより拝むぞ」
社長は両手を合わせて「雨の恵みに感謝し……て……この身の穢れを清めたく…………と存じます……本日は何卒よろしくお願い申し上げます」とブツブツ唱えた。
――道祖神だろうか。
そうっとiPhoneを近付ける。
苔生した石仏は雨に打たれて丸くなり、元の形状をすっかり失っている。人の象をしていたのか、そうでないのか。
「社長って、信心深い性格でしたっけ?」
「最初の挨拶回りは社会人の基本のキだろ。空木もやっとけよ」
とんと肩を小突かれ、言われるがまま見様見真似で拝む。
「――さ、行くか」
本日二度目、社長は僕の出発を促した。
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