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あれこれ揉めているうちに横断歩道も信号もない道路を、背の高い女性が渡ってこちらへ向かって来る。
信じられない光景に、僕は傘を持たない手で目を擦らずにはいられなかった。
「お待たせしましたっ。あっちにポストはあったんだけど、さすがにもう集荷は来ていないみたい。ここから手紙を出そうかと思って母宛に書いてきたのに無駄になっちゃた~」
あんぐりと開いた口が塞がらない。
「ちょ、ちょっと。内藤さんじゃないですか! どうしてここに!」
「ん? ああ、空木さん」
彼女は、先日取材をさせていただいた女性。笠之村の噂を提供してくれた匿名希望のNさんではないか。
「やっぱり来られたんですね~。私、空木さんならきっと現地に向かわれると思いました。だからお話したんですよ。勘が当たった!」
Nさんこと内藤さんはケラケラと笑った。どんよりと湿っぽい空気に不釣り合いな声だ。
「いや待ってくださいよ、内藤さん。僕は、この趣味を唯一打ち明けている会社の同僚から貴方を紹介されてお話を伺ったんです。あの日、取材で待ち合わせた喫茶店で貴方はこう仰った。
『県北の山中に雨の降り止まない村がある。それだけでも十分興味深い土地だけれど、七月初旬には毎年旅行客を交えた地域の夏祭りが催されるから、もし都合が合えば行ってみたらどうですか』――と。参加されるのなら、そうと教えてくだされば良かったのに!」
「ごめんねー。参加できるかどうかは、私じゃなくて村が決めることだからさ。誘っておいて実際来られなかったら申し訳ないと思って」
村が?
不意に背後を振り返ったが、そこには集合した旅行客以外に人の気配はない。バス乗り場の付近にあった物と同じ道祖神がポツ、ポツと置かれているだけだ。
内藤さんはにっこりと笑って、傍にいる他の面々と頷き合った。
「夏祭りねぇ」
「物は言いようですね」
「まあ村に入れたということは、そういうことでしょ?」
「ウン。その通り」
「では行くか」
泊野社長の一言に全員が賛同し、車道に広がってワイワイと賑やかに歩みを進める。いい大人が危ない行動をするものだと思ったが、一向に車が来る様子はないし、自転車も歩行者も他にいない。売店は閉まっており、シャッターの隙間を覗くと店内には陳列棚や段ボール、コカ・コーラの瓶などが放置されたままだ。
民家に住民の影もない。
そこでようやく、内藤さんが笠之村を「廃村」と説明したのを思い出した。
およそ三十代から六十代までの幅広い年代の人々が、地域の行事に参加するため廃村に集合するという異様な状況に寒気がし、傘の柄を強く握り締める。
――よく考えれば、廃村なのに夏祭りとは変な話じゃないか。なぜ僕はそんな初歩的な疑問を今まで抱かなかったのだろう。
社長と話をしたかったが、彼は知人達との会話に花を咲かせており、とても割り込める雰囲気ではなかった。
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