3. 予定調和

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「空木さん。ちょっといいですか」と三峪さんがいそいそと僕のビニール傘に入る。 「さっき内藤さんとお話しされていた内容だと、空木さんは、てっきり今夜お祭りがあると思って見学に来られただけなんですね?」 「あると思って? ということは夏祭りはないのですか?」 「あると言えばありますけど空木さんが想像なさるような催し物ではないと思います。でもこの状況で私達と別行動を取るのも心配ですし、私も皆も村を訪れるのは初めてで、誰も安全なんか保証できやしません。ですから、ただ黙ってついて来てください。そして朝になったら六時半に始発のバスが迎えに来ますから、それに乗って帰りなさい。いいですね?」  彼女の真剣な面持ちに気圧されて、僕は頷いた。  第一印象では幽霊みたいに生気のない雰囲気が際立ったが、近くで見ると端正とは言えないが可愛らしく、ふんわりと優しい印象を与える女性だった。  どこかトマリノ物流にいた田中ミホさんを彷彿とさせる。今思えばあの人が僕の初恋だった。彼女は人妻だったので進展も何もなく、一度だけ飲み会の帰りに最寄り駅まで送ってあげたのが甘酸っぱい思い出だ。  それから数人の女性とお付き合いをした。最後の恋人とは婚約をし、相手の家に挨拶も済ませた。だが結婚までは至らなかった。どちらかが不義をした訳でもない。ただ様々なことが――時間や仕事、価値観――そういったすべての物事がすれ違った。  ありふれた別れだ。  胸がちくりと痛むのも、幻肢痛のようなもので、未練や後悔があるのではなく失った日々がそう錯覚させるだけ。  これも大人なりの人生の楽しみ方。痛みすらも快楽。……その筈だ。 「空木さん? 具合でも悪いのですか?」 「あ、いえ。少しぼーっとしちゃって。三峪さん、濡れますからもっと傘に入ってくださいね」 「ありがとうございます」  三峪さんは静かに、僕に傘を差されて隣を歩いた。  一行は軽快な足取りでどこか知らない目的地へと向かう。スニーカーに纏わりつく泥は重く、「行くな」と警告するようだった。
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