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六十を過ぎた白髪のサラリーマンが、くたびれたスーツ姿でコンビニエンスストアへ入ってくる。
エレベーターの方面から来たのを見るかぎり、どうやらこのビルに会社の事務所があるのだろう。
おや。よくよく見ると知った顔だった。黒縁メガネが印象的な彼は、ビル管理会社の社長である。
「篠山さん、お疲れさまです」
つい十分前くらいに、私は彼の事務所へ電話したのだ。
このビルの管理を担うのは彼らなので、当然のこと。言うまでもないが、このコンビニエンスストアは彼らの管理するビルのテナントである。
店長であるからには、客からの苦情や要望には少しでも早く対応したいと思っている。エレベーターが動かないと聞いて、真っ先に彼へ電話した私は間違っていないはずだ。
「……ああ、石田さん。お疲れさまです」
篠山さんは、いつも通りの、困ったような、人の好さそうな笑みを浮かべて、軽く会釈してみせる。
真面目な彼は、ビルのことで電話すればすぐ対応してくれる。今回も迅速に対応してくれたようなので、エレベーターももう問題ないだろう。
「今日は、家に弁当を忘れてしまって」
そう言いながら、ホットのお茶のペットボトルと鮭のおにぎりを二つばかり、レジにいる私へと差し出してくる。
「それで、特に変わりはありませんか」
「ええ、おかげさまで。エレベーターも直してくださったみたいで」
商品のバーコードを読み取りながら私が言うと、篠山さんは一瞬、息を止めたような顔でこちらを見た。
「え、エレベーター……」
「はい、先ほど電話した件です。直してくださったんですよね? 篠山さん、エレベーターで下りてこられたんでしょう」
「……あ、はい……そうでしたね」
どこか居心地悪そうに、篠山さんは頷いた。
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