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はい休憩、という部長の声で鉛筆と木炭を置く乾いた音があちこちから聞こえてきた。
廊下に出て曇り空を見上げ壁に背中をつけてずるずると座り込む。白い紙を前に集中したあとは喋る気もなくぼーっとして、あっという間に休憩は終る。
北向きの美術室にはいつも蛍光灯がついていて、その下では鉛筆と木炭を動かすひそやかな音が絶えず聞こえている。
アルミのバケツから白いロープがたれ下がり、それを置いた机の上には赤いバラとピンクのバラが散らかっている。それを紙の上に、人の手で描き写す。数本の鉛筆や木炭をつかい、形も、材質も、白黒の濃淡だけで色の違いも分かるように描き写す。ルネサンスから続くこのやり方を、二十一世紀日本の僕たちも受け継いでいる。
休憩後のデッサンを続けるなか、誰かが椅子を引いて立ち上がった。はっとして、目がそちらを追う。部長が大きい背中を丸めて窓際へ歩いていき、部員のデッサンを見るふりをして文庫本を読んでいた先生に小銭を渡して、分厚くて大きい木炭紙を受け取った。ぶわん、と紙がたわむ音がする。
部長のイーゼルに置かれたカルトンにはすでに描き終えた一枚目のデッサンがかかっていて、本人が席をはずしている間に遠慮なくそれを眺めた。
バックを指でこすり淡いグレーの濃淡をつくり、煙の立つ場所にバラが置かれているように見える。本物以上に雰囲気のある作品だ。
「部長は予備校に行ってるんですか?」
隣にいる先輩に聞いてみた。長くて細い指のあいだから濃いブルーの鉛筆を覗かせて一心に描いている先輩は、紙から目を離さずに答えた。
「いや、先生の指導だけだったと思う」
「それで足りるんですか?」
「M教大なら大丈夫みたいよ」
この高校から、地元のM教育大学を受験する生徒が多い。先生はそこの傾向と対策をがっちり掴んでいるのだろう。
一時間半のデッサンが終わると、机が床を打つ音がして、帰り支度が始まる。
外はまだ明るい。イーゼルと描きかけのデッサンを挟んだカルトンを立てかけ、椅子も片付けて、リュックを背負って美術室を振りかえると、数人がデッサンの続きを描いている。九時まで残って描く人もいる。先生もそれにつきあって残る。僕は美術室に残って話をしている同級生に手を振るとひとりで廊下に出た。
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