青と蒼(あおとあお)

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*  新学期になり、美術部はミーティングで学祭の展示について細かく決めた。展示する絵のない部員は飾り付けをする。先輩たちは普段からなにかしら描いているので作品に困る人はあまりいないが一年生はストックがない。僕は追い込みに入るみんなの横で静物デッサンを描いていた。同じ時期に県の高校美術コンクールがあるのでそちらに鬼百合の絵を出品する。この絵には自信がある。学祭より評価の高い美コンに出して、きっちり結果を出すつもりだ。  すっかり涼しくなった頃の土曜日に、高校美術コンクールの応募作品を搬入しに、美術部員は開催する美術館へ行った。たくさんのキャンバスを回収したトラックの銀色に光るコンテナが美術館の駐車場に到着する。天気のいい日で、太陽の強い光が運送会社のスタッフの帽子に濃い影を落としている。  私服の高校生でいっぱいの館内には梱包をほどいた薄茶色の紙と発泡スチロールの山のあいだを紐がくねくねと波打ち、床の上でとりとめもないオブジェをつくる。初めて来た僕には、他の学校の美術部員がすべてのことにもの慣れた達人のように思えた。そこで初めて本田亨(とおる)が描いた油絵を見た。  K高の展示スペースに掲げられた、背景が真っ黒な自画像。その背景はよく見ると、暗いなかに夜と深海を合わせたような揺らぎを感じる。顎をこころもち上げてこちらを見下ろす全身像の高慢な表情に、なんだか刺激される。その顔は、見る側の心を疑うように見つめる。頭からつま先までリアルに細かく描き込まれていて、雰囲気をつくるように所々で大胆な筆遣いをしている。キャンバスの大きさのせいもあって、展示スペースにいる人々を支配するように見下ろしている。この絵について何か話したくて、誰かいないかとあたりを見回すと、すぐ隣で部長が悔しそうに顔をしかめていた。 「すごいですね、この人の絵」 「ああ。こいつ、去年とおととしは優秀賞だった。人物が得意なんだよ」  人物画は難しいので描ける人は高得点を得るけれどそれだけじゃないことは僕にもわかる。だんだん首が痛くなってきた。この人はきっと、いろいろなことを見ない振りをせず追い詰めるタイプだろう。  彼の描いた絵が発する強さは人をとらえて離さず、開場前の準備の段階ですでに人だかりができていた。  僕は自分の描いた鬼百合の絵が何の感動も起こさないことに気づき、すでに壁に掛っているにもかかわらず、取り外したくてたまらない衝動にかられた。  準備を終えたあと、高校の美術部顧問と教育委員会が壁に掛けられたすべての作品を見て回り協議した結果、最優秀賞は本田亨の自画像に決まった。  僕は高校を卒業したら美術の専門学校に行き、絵に関わる仕事をして生活しようと考えていたけれど今のままではいけないと生まれて初めて思い、ぼんやりして形のない将来像に具体性を持たせなければならないと急に焦り出した。  何かに頼るのではなく自立しなくてはならないという厳しさを含んだ啓示を彼の絵から受けたのだ。力を余らせて楽をしてはいけない。もっと追い込まなければいけない。  美術館を出てから家に帰るまでの間いつもの道を通ったはずなのによく覚えていない。突然に強烈な衝撃を受けたものだからどこでなにをすればいいのか見当がつかないけれど今のままでは何もかも足りない。  誰かに習いたい。でも街の美術予備校は受験意識の高い奴が集まっていて、きっと僕など見下される。それよりのんびり指導してくれるところで、しかも確実に他の人より実力が上がるようなところへ行きたい。僕はすぐに絵画教室を検索した。
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