0人が本棚に入れています
本棚に追加
一週間の個展の最終日、ギャラリーから絵や荷物を運び出したあと、山崎と室井が隣のレストランで打ち上げをしてくれた。
体にぴったりとしたニットを着てソムリエエプロンを締めたオーナーが穏やかな声で、
「お疲れ様でした」
と言ってワインを注いでくれた。僕は立ちあがり、改めて会場を貸してくれた礼を言った。
乾杯をして一口飲むと、今までの疲れが急にどっと押し寄せてきて、僕は背もたれに体をあずけた。
「僕も、個展は二回やったんですけれど」
室井が言った。
「どこで? イタリア?」
山崎が聞いた。
「向こうで一回、日本で一回です」
「向こうのはどうだった?」
「お客さんがとても気さくでした。世間話みたいに、絵のことを気軽に訊ねてくる。楽しかったですよ。日本でやる個展の微妙な緊張感もいいですけど」
室井はいろいろな点で僕より先輩かもしれない。頬が赤くなってきた彼は、いつもよりお喋りになっていた。
「佐野さん」
「はい」
「僕たちのしてることって、絵を描くのって、本当は、何でしょうね?」
「だいぶ酔ってる?」
「いえいえ」山崎はかぶりを振り、
「作り続けることでしか、何も表せないし、何も残らないじゃないですか。一生……」
と言いかけたのか、言い終わったのか、テーブルの上に頭をのせてしまった。僕は山崎と顔を見合わせた。
「何が言いたいか分かるよ」山崎が言った。
「人に見せる部分、こういう個展とか、展覧会に出すとかは、派手に見える、光のあたる部分じゃないですか。でも、僕たちのしていることの大部分は、地味な作業ですよね」
キャンバスに筆を置き、手の動きと同じように色が吐き出されて行くときの、これをやりたかったんだ、という実感。それはまったく個人的な喜びだ。山崎も頷いた。
「俺たちがやってることは、死んでやっと終わる。自分の一生とともに作品も終わって、それで完結する」
「生きているうちに評価を求めない、ということですか?」
「いや、される人はいい。どんどんされればいい。俺が言いたいのは、評価されなくてもずっと作品を作り続ける、ってことだ」
僕は、ふと、本田のことを思い出した。彼はずっと早くからそういう覚悟を決めていたのではないだろうか。
今回の個展には忙しいので来られない、という連絡が来ていたけれど、急に顔を見たくなった。
すっかりくつろいでワインを飲む山崎と、まだテーブルに突っ伏している室井。
僕はこの先、絵を描いて、時々個展をして、展覧会に出品する人として生きるのだろうか。
たまに人に見てもらうことで力をもらい、ひとりきりで制作する現実へ戻っていく、の繰り返しを意識的にすれば、いつのまにか、いままでのふらふらした、どっちつかずの生き方から抜け出すだろう。あえてそれをし続けることを、自分で決めるのだ。
僕は今、自分が何をする人かを誰かに説明することができる。外側からなにが来ても揺らがないものが出来つつあった。
最初のコメントを投稿しよう!