5人が本棚に入れています
本棚に追加
満月が、星も連れずに輝いている。
闇の中を雲が流れ、時折その姿を隠していた。
月の男は、屋上の錆びたフェンスに寄り掛かりそれを見ていた。
風は、肌を刺す様に冷たい。
その風に攫われそうな月は、地面を這う光る蟻の様な車の列を見ていた。
その隣に、音も無く鷹は留まる。
体重を預けて、フェンスはぎしりと鳴いた。
「“夜空”が此処に居ると言っていた」
「……アユムか」
メジロの店を出てから、ヨリタカは彷徨った。
心に言い様の無い空間が有る。
白金の少年は、そんな彼を導く様に告げた。
「同じ趣味の男なんだから、一回ちゃんと喋ってみなよ」
虚な心を埋める為に、それもいいかもしれない。
そう思って、言葉に従った。
「全く、あの子は不思議なくらい何でも知ってる」
ゲッコウは薄ら笑い、ジーンズのポケットからマルボロの箱を出す。
使い捨てライターの火を付けるのに苦戦しているのを見て、普段は吸わない事が分かった。
煙は風に攫われ、直ぐに空気と同化する。
その行方を鳶色の眼も見ていた。
「……俺の結婚が決まった」
訊いてもいないのに月は語り出す。
「優しくて、面白くて、良い子で、可愛い子だよ。完璧な子」
ふう、と息を吐いた。
「だから、変な遊びはやめろ、と言われた」
でも、メジロの事が忘れられない。
不安定に飛ぶ小鳥に翻弄されたのは、ヨリタカだけではなかった。
妖艶で屈託の無い笑顔を、二人は思い出している。
「でも、今が離れる機会なんだろうよ」
あまり短くなってない煙草を隣に有る朽ちた灰皿に捨てた。
ヨリタカは、そのタイミングでコートのポケットからチョーカーを出す。
それは、メジロを縛る鈴の付いた物だった。
ゲッコウに向けて差し出すと、彼は無言で受け取り夜の街に投げ捨てる。
チョーカーは、鳴る事も無く光る蟻の中に消えた。
「これももう要らない」
ゲッコウはズボンのポケットに入れていた紙を取り出す。
無造作に畳まれていたそれは、契約書だった。
それを仇の様に破り、空へ投げた。
紙吹雪を冷たい風が攫っていく。
そして、満月の向こうに運んだ。
「イリヒトにはもう会わない」
「いいのか?」
「会っていいのか?」
悪戯な表情を向けるので、ヨリタカは低い声で、いや、と否定する。
「でも、イリヒトはお前が好きなんだぞ」
「でも、お前の事も好きだ」
そうなのだ。ゲッコウもヨリタカも、それを知っていた。
メジロは、ヨリタカの身体に刺青を挿れる為に、ゲッコウに身体を許したのだから。
「俺は、イリヒトを傷付ける事しか出来ない有刺鉄線だ。でも、お前は桜の枝だ」
小鳥が休む止まり木を、月は詩的な言葉で例える。
「お前がイリヒトを幸せにしてくれ」
俺には、出来なかったから。
そう残して、月はカンカンと音を立て崩れそうな階段から沈んだ。
ヨリタカは、その姿が見えなくなるまで見つめる。
こんな出会い方をしなければ、良い仲になっていたかもしれない。
そんな事を、思ってしまった。
最初のコメントを投稿しよう!