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「こんにちは〜……」
カラン、とドアに付けた鐘が鳴る。
それは来店の合図だった。
久しぶりに来たメガネの少年に、店主のメジロが、久しぶり、と声を掛ける。
「今日はどうした?彫るなら予約を入れてくれ」
「その冗談、笑えないんですけど」
「此処はそういう店だ」
この刺青屋に来るのが似つかない少年は、最上ニハルと言った。
しかし、その身体にしっかりと刺青を彫ったのをメジロは覚えている。
「刺青隠しシールだろ?今日は何枚要る?」
「一枚で大丈夫です」
わかった、とメジロは頷きカウンター裏の棚を開ける。
「……メジロさん、やっぱり刺青を消す事は出来ませんか?」
未成年の彼は訊ねた。
「オレは作品を消さない主義だと言ったろう」
ですけど……と眼鏡の奥の蒼は俯く。
「シールおまけしてやるから諦めな」
チン、とレジに表示された数字が変わるのを見て、少年は渋々頷いた。
放課後の赤空が黒くなる前にと足早に歩いた。
その道は登下校で使う道ではない。
レオには、親友であるダイチとイズモにも言っていない秘密が有った。
その薄暗い通りの、切れかけたネオンが光る店の裏口から入る。
お疲れ様です、と異様な雰囲気の店員達に挨拶をして、自分のロッカーにスクールバッグを放り込み、指定された黒エプロンを着けた。
ピンクの照明が照らすエントランスのカウンターに立つ。
その怪しい店が、レオのバイト先だった。
今日も流行らないだろうと頬杖を突いていると、開店から数分で玄関の引き戸が開かれる。
レオはいつもの営業スマイルでいらっしゃいませ、と言うと、その中年男性はレオの手を握ってきた。
「ねえ、君はいじめてくれないのかい?」
ぎとりと手汗をかいた禿親父は鼻息を荒くしている。
レオは、うわあキッショと思ったが、それを顔に出さず、俺はバイトなので……とやんわり手を外そうとした。
「ねぇ、そんな事言わずにさぁ……オジサンは君みたいなかわいこちゃんにいじめられたいんだ」
手をがっちり掴まれ、振り解けない。誰か店員を呼ぶか、と困っていると、ガタン、とまた引き戸を開ける音がした。
「こんにちは……って、おや?」
桃色の髪に眼鏡を掛けたその青年は、レオの目線に気付く。
「おじさん、ノーマルを困らせちゃ駄目ですよ」
とん、と中年男性の肩を叩いた。
「それとも、ボクが縛り上げてあげようか?」
爽やかな美顔に似合わない事を言えば、禿親父は舌打ちを打ちそそくさと店を出ていく。
「ありがとうございます、伊東さん」
レオが頭を下げると、気にしないで、と青年は手を振った。
彼は伊東イチロウ。清楚な美青年の風貌だが、彼も週一でこの店を訪れるくらいに"いじめられたがり"だった。
今日はどの女王様にいじめられようかな、と壁の写真一覧を見ながらも、やたらニコニコしている。
「なんか今日はご機嫌ですね」
常連故に気の知れた桃色に話を振った。
「ああ、さっき先輩に偶然会えたんだ」
「先輩って、元カノの?」
「うん。相変わらず美しかったよ。仕事帰りだったのか普通の格好だったのが名残惜しいな……ああ、またあの可愛らしいゴスロリ姿が見たいよ!」
抑えきれない興奮が顔に表れている。こんな変態な人だが、その美貌故にこの店の女王様達はこぞって相手をしようとした。
先輩という人を思い出して浸っているところ悪いが、あの……そろそろ……と声を掛ける。
イチロウはやっと我に返り、ごめんごめんとカウンターのボードに記入した。
それではこちらへ、と定期文を言いつつ奥へ続く扉を開ける。
イチロウはありがとうと中に入った。
そのすれ違う瞬間、桜色の眼をこちらに向ける。
「君は無関係なんだから、早くこの店から足を洗いなさい」
イチロウは笑顔で言い、レオはその言葉の意味がわからなかった。
え、と漏らすが、桃色は追及を許さない様に奥へと消える。
銀はきょとんとしたが、バタンと扉は閉まった。
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