約束

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約束

「綺麗な歌だ」 後ろからの声に少し驚く。振り向くと同い年ぐらいの女の子がしまったと言った感じに視線を落としている。 僕は少し躊躇って、その子に声をかけた。 「もしかしてこれのことですか?」 自分の目の前のパソコンの画面を指さす。そこには調声途中のボーカロイドの曲が映っている。 「そうです」 顔を赤らめて彼女は走って行き、彼女の足音はどんどん潮騒に置換されて行った。 僕は少し恥ずかしかった。いや、まあ、こんなところで作業をしている方が悪いのだが。 5月の少し暑い昼下がり、僕は浜辺に来ていた。 どこから流れ着いたか分からない流木の上に腰をかける。 どこへも行けない僕がどこにだって行ける流木の上に座っている。 なんて皮肉なのか。いや、僕もどこまでも行けるのかもしれないが乗り逃した電車のチケットを持ったままうずくまっているだけなのかもしれない。この流木みたいに波に乗るだけで前に進めたらいいのに。 そんなことを考えながらぼうっとしていた。 嗚呼、潮騒が五月蝿いな。 ああそうか、イヤホン外れてたんだ。 僕の頭はいつも音楽と言葉で埋まっている。それを止めるためにいつも音楽を聴いている。イヤホンが外れて脳内の曲に切り替わったのだろう。気が付かなかったな。 僕は、この脳内で暴れる狂おしい程愛しく憎い音楽を外に出してしまえば楽になるのかと思って曲を描き始めた。 無論、音楽は毒であるのなんてわかっている。 「音病」 音楽に携わるとかかると言われている謎の病気である。 ある日突然それは現れた。 始まりはある歌手が亡くなったことからだった。その歌手から菌が見つかったのだ。今のところ接触や空気感染などはなく、作詞、作曲などをするたび命を削っていくというだけである。削る量は正確には分からないが、歌唱、作詞、作曲、編曲の順に少なくなるらしい。ただ曲を聞くというのは影響がない。そして、歌唱は他のどれよりも比べ物にならないくらい削ってしまうらしい。そして、次は作詞である。この順番は、「言葉」になにか関係があるのではないかということはわかっているが、正確なことは知らない。 ただ、ある日突然人間は両手に数えるくらいしか歌を歌えなくなった。その事実だけは明白だった。 それでも音楽はたくさんの人に愛されていた。 歌唱をボーカロイドに切りかえて沢山の人が音楽を創り続けた。無論その人たちは長くは生きられない。そのことを承知の上で音楽と共にあった。僕もそのうちの一人である。 いや、僕は音楽に犯されるのが嫌でどうせなら死んでもいいのでその呪縛から離れたいだけかもしれない。 まあそんなこんなで僕は作業を始めた。 流木の上でパソコンを開いてDTMを開く。ドラムを打ち込んでコードを入れる。そして、メロディを打っていく。できたメロディーをボーカロイドにコピペをして、歌詞を打ち込んでいく。ボーカロイドの声は滑らかには歌わない。人の手で聞き取りやすくするために調声をしなければならない。その作業をし始めたその時にあの女の子が来たのだ。 なんだったのだろう。正直あまり綺麗と言われたことがないので少し嬉しかったなとぼうっとモニターヘッドホンを外して海を眺める。吸い込まれるような空色に目を細めて遠くの鴎を目で追う。潮騒は相変わらず五月蝿くて顔を顰めてしまったその時一定のリズムを作り出す潮騒になにか異質な音を感じたのだ。「歌っ!?!」思わず叫ぶ。しかもこの歌聞き覚えしかない。さっき僕が描いていた曲である。思わずパソコンを置いて吸い寄せられるように音の方向に歩き出す。 深草展望台。そこに彼女はいた。 「君は、死にたいのか?」 僕は、彼女に問いかけた。彼女は音を紡ぐのをやめて僕の問いに答えた。 「私にはそんな救いはないわ」 そして、僕からふいと目を逸らしてまた曲の紡ぐことにもどる。 その美しい横顔に絆されて僕はつい言ってしまった。 「100曲貴女に渡すことが出来たら付き合ってくれないか」 彼女は意味がわからないというふうにこちらを向いて、ため息と共に僕に言った。 「私を愛してはいけない。」 僕は頭を垂れた。 彼女は困った顔をして、少し考えたあと口を開いた。 「貴方の曲は1曲しか知らないけれど、とても好きよ。でも、それが付き合う事に結びつくのか意味がわからないわ。その言葉の主語は全て貴方でしょ。そうね、ではこうしましょう。100曲私に渡すことが出来たらお返事をあげましょう。私も必ずお返事をしますから貴方も私に曲をください。約束です。」 今思うと、めちゃくちゃな約束だが、僕は彼女と約束を交わしてしまった。 彼女の「約束」という言葉が脳裏から離れない。 触ってしまうと輪郭を作ってしまう氷の破片のような言葉をハンカチで拾って胸の奥にしまう。 その時僕は「しまった」と思った。これは呪いだ。僕の手足を責任感とプライドが手を取り合って約束の言葉をもって十字架にしばりつけていく。事の発端である「恋」は、釘のように僕を念入りに刺してくる。 「めんどくさいことになったな。」出そうになる言葉をため息で吹き消して、パソコンをまた開く。 僕は元の流木の上に戻ってきていた。 「まあ、1曲目はこれなんだが」 独り言を呟きながら再生ボタンを押す。きちんと聞いたことがある音が流れてくる。 スマホを取りだして、ロックを外す。SNSの通知が来ていた。普段は無視するが少し気になって開いて、すぐさま閉じる。友達に無理やり入れられたそのSNSのたくさんの写真たちは文字より余計なことを語りかけてくるので得意でない。何故か捨てずに入っているそのアプリは、今日の僕には、いつにも増して見るのが辛かった。 気を取り直して歌詞の入っているメモを開く。 この曲は終わりに走る歌であった。それは、歌詞の着想が太宰治の『人間失格』から来ているからである。彼は道化が、人間への最後の求愛行動だと書いていたが、僕にとってのそれが作曲なのだろうと考えてる間に書き上がった歌詞だ。いや、この極端な思想を小恥ずかしくて太宰に擦り付けているだけかもしれない。そんなこと僕だって知らない。 歌詞の一括書込みでコピーアンドペーストをする。 あとは、リズムのおかしなところを直して出来上がりだ。 音楽は、リズムからもう物を言ってくるのに歌詞を入れると歌詞の内容の倍おしゃべりになる。それを感じるのは以外に苦痛ではなかった。 「よしできた。」 そう呟いたの翌日の朝の五時だった。大学の宿題を挟んだら遅くなってしまった。 昨日と同じ時間に深草灯台の上に向かう。 ただまたいるかもしれないという希望的観測で向かったのに、彼女が涼しい顔して立っているのに拍子抜けをしてしまう。 「また来たのね」呆れた顔を浮かべて彼女は僕の方を向く。 「約束したじゃないですか。」 「そうだったわね。あの曲が完成したのかしら?」 僕の手元の楽譜を見て渡してくるように催促してくる。 僕が楽譜を手渡すと彼女は間髪入れずに歌い出した。 「ちょっ、歌っ」驚きで言葉が出なくなっている僕をみて、 「私にはそんな救いなんてないと言ったでしょ」 と、歌うのを中断して彼女はいたづらっぽく笑った。 言い終わるとまた歌に戻って行った。 僕は彼女の言っている意味がよく分からなかったが、その笑顔で彼女は歌では死なないと言う確信を持ってしまった。 「貴方は人生ってどういうものだと思う。」 歌い終わると彼女は僕に問いかけてきた。 「飴玉と同じだと思います。」 「飴玉ね」 飴玉 甘く甘く蕩かして だんだん甘さに絆されて 口がきゅうきゅう乾いていき それさえも気づけない堕落 与えてると思い上がる 消費されてるとも知らないで 「そうなんです。きっとイチゴ味の」 甘い甘い逃げ出して だんだん甘さに慣れていき 口の乾きをうとんじて 幸せは苦痛へ変わっていく 噛めば終わりとわかっているのに ああ言葉が降りてくる ここのところご無沙汰だった言葉の雨 静かに静かに僕を満たして ゆっくりゆっくり蝕んでいく 気づくと僕はメモを走らせていた。 「何を書いているの」 気づけば彼女は、僕のメモを覗き込んで来ていた。 「次の曲の歌詞です」 ふぅんと、興味なさげな返事をする彼女に苦笑いをして、そしてひとつ問いかける。 「貴女のお名前伺ってもいいですか?」 「そこは先に名乗るのが礼儀じゃなくて?」 「すみません。僕は、深草亮太と言います。」 「私は、小町明里。貴方の苗字って、この灯台と同じなのね。」 たまたまだったが、初めて知った時嬉しかったのを覚えている。深草灯台。僕の苗字は、「みくさ」と読むが、この灯台は「ふかくさ」と読む。まあそれはそうとして、漢字は同じなのだ。運命と呼んでもいいだろう。 「貴女だって不思議な苗字ですね。おのまちだなんて。」 「いい響きでしょう」 「そうですね」 それきり僕らは黙ってずっと海を見ていた。 そして、5時のチャイムと共にその日は帰路に着いた。 あれから、彼女に歌を渡す度彼女は僕の前でその旋律を歌い奏でた。そして、歌い終わった彼女と二言三言話すと決まって言葉のシャワーが降るのだ。そして、その日のうちに次の歌詞は出来上がってしまう。 最初のうちはありがたかった。作詞ほど気分のものは無い。どんなにどんなに書きたくても、筆が乗らなきゃしょうがない。 しかし、50を越すとだんだん怖くなっていった。僕は彼女なしで曲を書くことができなくなっているのではないかと。 音病は依然謎なままだった。200曲描いた作曲家が死んだとか、30曲無理に歌った歌手が死んだとか、連日ワイドショーを賑わす良い話題と成り下がっていた。 しかし、120曲書いた作詞家が死んだ時から、音病は他人事では無くなってきた。なぜなら、僕は作詞作曲どちらも自分でやってしまっている。作詞専門の作家が120曲で死んでしまったなら、僕は。そんなことを考えるとゾッとしてしまう。約束を守れなくなるじゃないか。 自分の死より約束を気にしてしまうことに苦笑してしまう。 ある日突然の初恋で結んだ約束は、初恋という要素を化石として背負って愛という呪いに変わった。 97 そして、だんだん答えを得るのが怖くなってきたのだ。 100曲目に渡される解答が全てを消し飛ばしてしまうのではないか。僕が今作っているのは砂上の楼閣である。彼女の一息で僕の削った命すら意味をなくしてしまう。 いや、彼女を愛したという事実さえ残れば十分か。 「ハッピーエンドをおくれ」 98 声がかすれていることに悟りを開く。僕もそう、そろそろだ。 99 この日は、彼女と会った時に歌詞を書かなかった。 次の歌詞は決まっていた。 渡した楽譜の裏に、僕の住所を書き記した。 100 この曲を書いている途中、僕はやっと気づいた。 「ハッピーエンドは最初から望んですらいない」 僕は初めから音病に打ち勝つなんて考えていなかった。 彼女とのその後というものを想定すらしていなかったのだ。 長い長い○○への旅路 元々は1人で歩むつもりだった。 羅針盤も地図も持たずに。 彼女は星 光り輝いて導くポラリス そこにあると言うだけで安心する そこにあると言うだけで道が見える ああそうか、僕は君との時間を得たんだ 昔の冒険家だって北極星で道を決めても 北極星まで行く人はいなかった そうだそうだ これでいいのだ 僕はもう十分なのだ。 この愛おしい時間を思い出す度に多幸感に包まれるのだから。 嗚呼、エンドはいらない。 この愛を抱きしめて。 許してくれ。どこまでも、僕は自分勝手だ。
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