水曜日の雨は羽衣

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 嵐のあったあの日から、彼は毎週のように私を家まで送ってくれるようになっていた。  臨時講師の彼と私では退勤時間も違う筈なのに、美術準備室を出て渡り廊下を通り帰ろうとすると、どこかで彼に会う。  廊下の角にある自動販売機、階段の途中、職員用の玄関やそれを出てすぐの駐車場で。  学校という狭い空間で、安定したルーティンで同じような時間帯に帰宅する私と彼が出会(でくわ)すのは、偶然と呼べるほど確率の低いことではなかったかもしれない。  それでも彼は私を見つける度に、その小さな偶然をよろこんだ。  彼は屈託のない人だった。性根が明るいというか、(いびつ)や複雑さを感じさせない、率直で、それでいて穏やかな人だった。  当たり前のように彼が差し出す親切の根底には邪気のない好意があって、それを隠そうとすることもしなかった。  「良かったら送っていくよ」  そう言うだけの、強引でも何でもない彼の誘い。  いくらでも逃げる余地はあるのに、上手く断ることが出来なかった。    私ははじめ、怖かった。  偶然彼に会ってしまうことが。  ふと顔を上げ、振り向き、私を見つけたその時の、彼の嬉しそうな笑顔を見ることが。  だってその度に、火の玉が、私の前に現れてしまうから。  けれど不思議なことに、彼と出会う日の夜は、いつも雨が降っていた。  それは昼過ぎの渡り廊下で降る雨と同じ、絹布のような静かな雨。  私が生んだ小さな炎は、その雨が掻き消してくれた。  傘から伝い落ちる雫で、雨で濡らした手のひらで。私は小さな炎を、簡単に消し去る事が出来た。  私はいちいちホッとして、そんな心の隙間に、彼はするりと入り込む。    私はあっという間に彼に惹かれていった。  
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