水曜日の雨は羽衣

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 予想していた衝撃は、しばらく待っても来なかった。  おそるおそる薄目を開けると、足元に先程の枝が落ちている。水中で傷めつけられてぐったり弱った、大きな蜥蜴のように見えた。  窓はいつのまにか閉まっていた。私の目の前には、上半身をびしょ濡れにした男性教師が立っている。  「誰か、B組の担任の先生呼んできて。あと、美術と工芸の子達、先生達は少し遅れるからそれまで自習って伝えて」  彼は離れた場所にいる生徒達に目線を送り、そう頼んだ。目が合った生徒の内、幾人かが頷いて、それぞれの方向へ散っていく。  それから先程ふざけていた男子生徒達を、手招きで呼び寄せた。  「お前達は担任(B組)の先生からお説教だぞ」    その辺りでようやく私は、このひとに庇って貰ったのだとわかった。           ♢♢♢  彼はその後も、甲斐甲斐しく後始末を手伝ってくれた。    ずぶ濡れになった私を促して、工芸科の準備室に連れて行くと綺麗に洗ったタオルを渡してくれる。服の替えがないなと考えていると、学校に常備してある生徒用のジャージを借りてきてくれた。その格好では電車に乗りにくいだろうからと、退勤時間を見計らって美術室まで迎えに来て、車で家まで送ってくれた。  私のアパートまで約二十分。  私は面白い話ひとつ出来ないのに、彼は柔らかな笑顔を向け、穏やかに語りかけてくれる。  「あの時さ。()けようと思えば、避けられたろ」  「え?」  「枝が飛び込んできた時。君が避けたら後ろにいた生徒に当たるから、避けなかった。違う?」    私は黙った。  そんな格好いいものじゃない。結局実際に被害を被ってくれたのは、私ではなく彼だったのだし。  風は収まり、静かに降り続ける雨が、窓に映る夜の景色を淡く滲ませていた。  私はその日の雨に感謝している。  別れ際、私の胸元に現れた小さな火の玉を、降りしきる雨が消してくれたから。           
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