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俺たちがセットになると、周りは静かになった。
もとよりアルファは俺たちを気にも留めてはいなかったけれど、ある種のおせっかい気質のベータは「あぶれ者ではなくなった」と手を引いたのだった。
もちろん晃のアルファらしさや俺の家柄込みの立ち位置に黄声はあったが間近ではないから雑音でしかなく、自然とそのお互いの関係性は近くなっていったのは言うまでもない。
俺の親友は彼になり、彼の親友もまた俺になった。
初めての親友に舞い上がり「それなり」の友人にも恵まれた環境に文句のつけようがない。
と、あの夏までは思っていた。
晃と言葉を交わして彼を知れば知るほど、親愛が深まる、それだけのはずだった。
なのに彼を知った分、ゆっくりと俺の心は晃を好きになっていった。
例えば夏のポッキンアイスなんかそうだ。
うだるような暑さの日に二人で田舎の海に遊びに行ったとき今にも潰れそうな小汚い商店で晃は30円くらいの変なアイスを買って半分に折って片方を俺にくれた。
「なにこれ?」
「ポッキンアイス。食ったことない?」
「ない」
「まぁ色のついた砂糖水凍らせたもんだよ」
「…なんだそれ。っていうか、なんでひとつづつじゃないんだ?」
「そりゃぁ半分こして食うのもんだからだろ?」
ひとつのものを分け合うというのは、上流家系にはない感覚だった。
足りなければ足す。とういうものだ。
もしその数が限りなければより上位のものが手にするのが当然で、分け与えるとは施しだった。
けれども、晃は当然というふうに自然にその片方を俺に「与える」のではなくただ手渡した。
未発症とはいえ上流家系で家庭内ではオメガとして生まれオメガとして育った俺は、「施されてしか生きていけない」という根底の感覚があった。
親の庇護もそうだが、母親たちの過剰な愛情も「施し」で、この先もしも発症したなら夫となるアルファの庇護と施しの中でしか生きてはいけないという現実を教え込まれてきていた。
それなのに、お前はそんな当然だろって顔で当たり前みたいにすることが、どれだけ俺の心を揺さぶったのかも知らないんだもんな。
(そして知らないからこそ、そんなことが言えるんだ。俺が、アルファだと信じているから…)
嘘なんか、吐かなければよかった。
俺の母さんが言ったように未発症のオメガとして正直にあったなら…彼の、晃の、アルファの、好きになった人の恋の相手になれたかもしれないのに。
…あの後悔をした瞬間こそ、俺の恋の始まりだったんだ。
俺のこの初恋はいつも、後悔してから自覚することばかりだ。
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