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2-10 うたた寝
伯爵は夜を、というより眠る事を嫌っていた。
独房に隔離されていた十数年、彼は何度も脱獄する夢を見た。夢の不思議さでびくともしない鉄柵をねじまげ、隙間から体を捩じって外に出る。追手を振り切り丘の上に辿り着く。
自由だ。自由だ、私は自由なんだ。
叫びながらどこまでも走る。
そして夢が醒め、檻の中の現実に気付く。その絶望感は体中の力を奪うほど大きかった。
その鮮やかな絶望が未だに深く刻み込まれている。だから城主となった今でも夢を見るのが怖い。目が覚めるたびに檻がない事を確認するようになってしまった。
そしてそんな感傷より切実な問題として、彼は無防備な睡眠時間を最も警戒していた。
もちろん寝ている間も護衛はつけているが、彼はその護衛ですら信頼していない。なぜなら、伯爵自身が護衛の兵士を抱き込んで寝ている叔父を毛布ごと刺し貫いた過去をもっているからである。
伯爵が信じられるのはこの世の中自分だけだった。
「なんだ、もう起きたのか」
だから、アスタロトにこう言われたとき、彼は耳を疑った。
いくら非力そうだとはいえ、得体の知れない客人を自室に招き、話の途中で眠っていたなどあり得ない事だった。
アスタロトのグラスはほとんど空になっている。だとすれば、かなり長い時間うたた寝していた事になる。伯爵はゾッとして時計を見た。ゆうに数時間経っている。
「よく寝ていたから自分の部屋に戻ろうかとも思ったんだがな、ここの方があったかいし、酒もあるし」
アスタロトはのんびり言った。だが、伯爵は自分の失態がどうしても信じられなかった。
「薬でも盛ったのか。それともまた怪しい術でも使ったか」
「はん」
アスタロトは笑っただけだった。伯爵は疑り深くアスタロトを見ていたが、あきらめて息を吐き出した。
「お前は呑気だな。部下なら勇んで首を取るところだ」
「それはまた最悪な主従関係だな」
「確かに」
伯爵は諦めて、表情を和らげた。
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