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自分の辛辣な発言は棚に上げて、アスタロトはワインの瓶を逆さにした。
空だった。軽く舌打ちして瓶を指ではじく。それから瓶を傾けるとグラスにワインがなみなみと注がれた。伯爵は平静を装いながらも瓶とグラスを交互に見比べる。
「なにをした」
「なにも。底に残ってたんだろう。まあ、そういうことだ。ケンカも結構だが、多少は話を聞いてくれないとあいつの機嫌が悪くなって、俺は大変迷感だ。小言は増えるし、勝手に落ち込むし、慰めないとふくれるし」
アスタロトは心底、煩わしそうな顔をした。伯爵は額を押さえた。
「理解できん。お前の言葉もショウ殿の言動も真意がつかめない」
「あいつも話したいんだ、伯爵と」
「あの態度で? いちいち人のやり方につっかかってくるばかりだぞ」
「俺達はこの世界では異邦人だ。だから多少やり方が変ってるかもしれないし、気に障ることもあるかもしれないが」
アスタロトは肩をすくめた。
「でも伯爵、また明日の夜もここに来ていいだろう?」
伯爵は考える間もなく、釣り込まれるように頷いた。
いくら微慢な態度を取られても、アスタロトと過ごす時間がなくなるのは嫌だった。
確かにアスタロトは異邦人かもしれない。この世界のあらゆるしがらみと無縁だった。話しているといつのまにか普段の鬱屈を忘れている。だが伯瞬は、そんな気持ちを素直に認められず、夜は暇だからと言い添えて顔を上げた。
「よかった」
アスタロトが微笑んでいた。
アメジストに似た紫色の瞳が伯爵を見守るように見つめている。そのまなざしは染み透るようにやさしかった。
伯爵はふいに胸の高鳴りを感じた。これまでこんな笑顔を他人から向けられたことはない。
⋯⋯天使のようだ。
伯爵はうっかりそう言いそうになって、危うくその言葉を喉元で止めた。それでも佇むアスタロトの美しさに見惚れずにいられなかった。
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