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歩きだすと、歩調はどんどん早くなった。
足が勝手に石の牢獄目指して進んでいく。途中、夜間の護衛で城内を巡回している衛兵とすれ違ってぎょっとされたが、それでも足を止めなかった。
「鍵をかせ」
牢獄の番兵は突然の来訪に度肝を抜かれ、おずおずと鍵を差し出した。
訪れた時間も真夜中で異常だったが、なにより伯爵がこの牢獄を毛嫌いして寄りつかないことは有名だったからだ。
伯爵は番兵の護衛も退けて、一人で石の牢獄に入っていった。
えんえんと続く螺旋階段を休みもせずに上っていく。温気のこもった微臭い空気を吸い込むたび、過去が交錯して苦しくなった。
伯爵が手にした燭台以外に明かりもなく、牢獄は石でできた巨大な棺桶のように冷え切っている。
「⋯⋯」
牢獄のてっぺんは、あの頃とちっとも変わっていなかった。
わずかにくくられた正方形の窓から月がのぞいている。闇に目が慣れていた伯爵には、その光だけで辺りが青く浮かび上がって見えた。
伯爵は深呼吸した。
悪夢とみまごうほどに、この光景はあの頃のままだ。
灰色の石の壁、石の床。
あの頃と違っているのは彼が柵の外におり、この牢に誰を閉じ込めてもいい権力を持ち得ていることだった。
鉄柵に仕切られた牢の隅でアスタロトはあぐらをかいている。そこには月光が届かず、アスタロトの顔はよく見えない。
「⋯⋯どうだ、気分は」
伯爵はつとめて平静に声をかけた。アスタロトが牢に入ってまだ数日だが、その長さをとっぷりと味わっていた伯爵は、妙な緊張すら感じている。
「食事に手をつけないそうじゃないか。抗議のつもりか」
伯爵の声は深い沈黙に吸い取られていった。アスタロトは返事どころか、身じろぎ一つしない。伯爵は業を煮やして近づいた。
「アスタロト、私に言いたいことはないのか」
静かだった。伯爵は檻に手をかけた。
「なぜ黙っているんだ?」
「⋯⋯」
伯爵は目をこらして、アスタロトの表情を読み取ろうとした。だが、墨を溶かしたような濃い闇に阻まれ輪郭をやっと読める程度だ。アスタロトは動かない。
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