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祭りの準備は着実に執り行われていた。
伯爵は重点的に教会の整備に力を注いでいた。日毎に教会は美しくなっており、その熱心さに半信半疑だった領民たちも、ミサに参加しようという気持ちが高まっているようだった。
「ショウ殿、来ていたのか」
教会の様子を見に来ていたショウに、視察に来ていた伯爵が声をかけた。あらかたの整備を終え、長年の封印を解いた礼拝堂の姿は実に清らかだった。
「この中では時間が止まっていたようですね」
ステンドグラスを通して虹色の光がマリア像を包む込む。
喧噪からほど遠い静謐な空間にショウはうっとりした。聖なる雰囲気の中で目を閉じていると天界の空気を思い出す。
伯爵は丁寧に教会の中を点検していた。木の長椅子がゆるやかな階段状に設置されていて、かなりの大人数を収容できるようになっている。その気の遠くなるような座席を一つ一つチェックしている伯爵の姿は、敬度な信徒そのものだった。
「今回は、ありがとうございました」
ショウはもう一度、伯爵に声をかけた。伯爵はようやく顔を上げた。
「礼を言われるような事はしてないつもりだが」
「いえ、私の希望を受け入れて下さいました」
「教会の開放か」
伯爵はつまらなそうに、肩をすくめた。
「あんなにしつこく迫られたんじゃ煩くてかなわん。さすがの私も根負けしたってわけだ」
「伯爵の無神論のほうが手強いですよ」
「無神論なんて穏やかなものだ。祈りのほうが狂気に近い。この教会を封鎖してから十年以上になるが、私はここにこうしていても特に懐かしさは感じない。だが工事にあたっていた職人には泣き出す者までいた。あんなに長い間、祈りから引き離しておいたのに随分と根強い」
その表情に嫌悪の色が見えて、ショウはドキリとした。
「伯爵には感傷はないんですか」
「思い出を量ではかるなら、この教会でもっとも多く祈りを捧げたのは、私だろうが⋯⋯」
「え」
ショウは思わず、驚きの声を漏らした。伯爵は静かに笑った。
「この教会は父が建てたものだし、母は筋金入りの信者だ。私はここで洗礼している。口も聞けない頃から牢につながれるまで、毎日ここで祈らされていたよ」
伯爵は壇上まで歩いてくると、そこにおいてある分厚い聖書を手にとり、ショウに投げてよこした。
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