2-20 葛藤

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「だからって……」 「そして、こうも思ったはずだ。この悲劇は祈りに頼り過ぎたせいじゃないのかって。父親があまりに無力だったのは、神頼みばかりで現実的な防衛策をしなかったツケだ。だから伯爵は祈らないし、領民が自分を裏切った宗教を崇拝する姿も見たくない」 「でも……それであんなに冷酷になれるものなんですか」 「伯爵の虐殺癖か?」 「そうです。伯爵は一撃で倒せる腕を持ちながら、過剰に暴力をふるう。根が残忍なんですよ」 ショウは苦々しく言った。アスタロトは首を横に振った。 「違う。敵が息を吹き返すのが恐いんだ。伯爵は矛盾を抱えている」 「どういう意味ですか」 「刷り込まれた教義の内容と、その後の経験が完全に相反している。  伯爵は裏切りという言葉に非常に敏感だろう。血生臭い生育史のせいで、裏切れば大きな災いを呼ぶことを経験的に学習しているからだ。  裏切りに厳しい伯爵は、教義を破る自分にも強い危機感を持つ。  教義で殺生は大きな罪悪だ。だが彼の経験主義は殺人を肯定し、教義を無視する。  しかし人を殺すたび、心の底で天罰を恐れる気持ちは消えずに残る。  そんな伯爵にとって、次々と立ちはだかる敵は天誅を下す使徒も同然だ。だから伯爵は目の前のありとあらゆるものを切りつける。厳重な警備も剣の特訓も、この恐怖心が根底にある」 「伯爵は⋯⋯そんなに弱くないですよ」 ショウは辛うじて反論した。 「そう思うか」 「顔色一つ変えないんですよ。あの男は」 「怖がったら最後、弱点を周囲にさらすことになるだろうが。鬼の領主としては、間違ってもそんな醜態はみせられない。  でもな、ショウ。そりゃ伯爵は弱くはないぞ。それどころか強靱な精神力の持ち主だ。それでも彼が全く誰の手も必要としないかっていったら、それは違うんじゃないのか。普通なら守られていいはずの子供時代に、十年以上も牢で一人だった埋合せは未だ何もない。やつの中に憶病で残虐な子供が残っているのは、求めたものが何一つ満たされていないからだ」
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