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伯爵の手がアスタロトを掴まえた。
「しあわせ⋯⋯」
「うん」
「⋯⋯この私が?」
伯爵は、自嘲するように首を横に振った。
「そんな夢みたいなこと許されるはずないじゃないか。
私はずっと、このまま戦って戦ってひどい死に方をするんだと思っていた。牢を出た時から当たり前の幸せなんて諦めてたんだ。
昔、あの教会で祈りを捧げていた頃から、私はかけ離れてしまった。こんな遠い処まできてしまって、どうして幸福なんか望めるだろう。
天国には汚れてない綺麗な魂だけがいけるんだ。私は残酷な鬼だ。例え死んだって幸せになんてなれるはずがない」
「そんなことはない!」
後ろからぐっと引き寄せられた。伯爵は暗闇の中で抱きすくめられるのを感じた。アスタロトではなかった。それはショウの腕だった。
「なれます、私が許す」
そのとき、唐突に闇が打ち破られた。
鈴の鳴るような音。大きく動く空気。目が眩むような純白の光が部屋を満たした。そして伯爵は信じられないものを目の当りにしていた。
羽だった。
真っ白な羽が、雪のようにはらはらと降っているのだ。
そしてその見事な羽は、ショウの背中から広がっている。
「天は誰の不幸も望んだりしない」
「⋯⋯天使⋯⋯」
伯爵は囁くような声で呟いた。そして思った。
⋯⋯なぜ今まで。
なぜ今までショウがこんなに美しいことに気づかずにいられたんだろう。
何もかも許さなかった自分がどうして許されたんだろう。
許されたのに、どうしてこんなにも胸が痛むのだろう。痛いのに、なぜその痛みすら忘れたくないと願うのだろう。
頭を駆け巡る疑問符は、上等の音楽のように鳴りやまなかった。
⋯⋯ああ。そうだ。
私は審判の時をずっと、恐れていたのだ。
伯爵は呆然とショウを見上げたまま言葉を失っていた。
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