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「伯爵、行きますよ」
ショウはぼんやりしている伯爵をせき立てて、馬小屋に向かった。鞍と綱をつけて先に伯爵をのせる。ショウは思いついて廃墟の中から布地を引っ張り出してきた。
「これをかぶって下さい。千切れたカーテンですが、顔を隠すのに丁度いい。自分で手綱をとりたいでしょうが、今回は私に任せて下さい」
ショウは伯爵を前に抱えるようにして馬に乗った。天界のペガサスや一角獣に比べれば、人間界の馬はずっと扱いやすい。
周りに人影はなかった。伯爵は驚くぐらい静かだったし、頭からすっぽり布をかぶっているので顔を見咎められることもないだろう。
「かなりスピードをあげますからしっかり私に捕まって下さい」
ショウは鞭を叩いた。呪文を唱えると、馬は光の粉を浴びたように全身に力が漲り、高く嘶いた。ショウと伯爵の重さを感じさせない豪速で馬は走り始めた。
「なんだか変な心地だ」
「何がです?」
城がだいぶ遠ざかった頃、伯爵は囁くような声で言った。
ショウはすっかり静かになって前だけ見ている伯爵の様子に、不思議な気分に陥る。
りんごの花が一斉に散ろうとしている。ショウ達の乗った馬が林檎の木の傍を通ると、風圧でおもしろいように花びらが舞う。
アスタロトの陽動作戦が功を奏したらしく、城から森に至るまでの道は人もまばらだった。どっちにしろショウが操った馬は猛スピードで走っていたから、目につく間もなかっただろう。それでも念のため公道ではなく、険しい森の道をあえて選んだ。森に入ればもはやすれ違う者はいない。
「あんなに長い間、死に物狂いで守ってきた城なのに、壊れてもそれほど悲しくない」
伯爵は、さらに前のほうを見つめた。決してショウに視線を合わせようとはしなかった。
「私がいま、何を考えていると思う?」
伯爵はもともと、ショウの返事なんて期待していないようだった。ショウの答えを待たずにそのまま続ける。
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