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「⋯⋯これは、ちょっと、まずいな⋯⋯」
「アスタロトさま、まずいってどういう意味ですか!しっかりして下さい!」
「お前、治せ」
「⋯⋯!」
ショウは絶句した。血の気が引いている。そのあからさまな反応がおかしくて、アスタロトは微かに笑った。
「何笑ってるんです、アスタロトさま! しっかりなさって下さい! 私に頼むなんてどうかしてますよ」
「早く、しろ、いいから」
「この前あんなに痛い目にあっておいて、まだ懲りないんですか!」
ショウが懸命にアスタロトを揺さぶる。どこか虚ろだったアスタロトの瞳に一瞬、いつものように強い光が宿った。
「⋯⋯大、丈夫。できる。やれ」
「アスタロトさま⋯⋯」
ショウが躊躇っている間にアスタロトの意識は途切れそうになった。青ざめた唇が、掠れた声でシュウ、と呟く。思わず言った。
「違いますってば、私はショウです! この後に及んで間違えるなんてひどいじゃないですか」
いや待て、違う、名前すら覚束ないのでは?
ショウはぎょっとした。アスタロトは目を閉じてぴくりとも動かない。
もはや猶予はないと判断して、ショウは震えながら手を伸ばした。
血でぐっしょりと濡れた上着をめくり、中に着ていたシャツのボタンをはずす。恐る恐るシャツをはだけると、肉がえぐれている傷を見つけた。
目を背けたくなる痛々しさだが、歯を食いしばって凝視した。皮膚には焦げた焼け跡も見える。傷は深い。出血がおびただしくて、どこまで内臓が損傷しているのかわからない。
呪文は覚えていた。
治癒の基本は難しい呪文じゃない。なのにそれができなかったのは、自分の資質を信用できなかったからだ。シンプルな魔法だけに強い意志が必要になる。治したいという気持ちと、自分なら治せるという自信だ。
迷いは魔法を狂わせる。天使への適性に葛藤するたびに効力が揺らいでしまう。
「い……いきますよ」
緊張のあまりショウの心臓は張りさけそうだった。
ショウが初歩の治癒魔法さえ使えなくなったのは、自分なんか天使にふさわしくないと思った時からだ。
でも今はもう、ふさわしいとかふさわしくないとか悩んでいる余裕はない。事態は切迫している。アスタロトを助けられるのは自分しかいないのだ。激しい動悸がショウの体中に響いた。心音が刻むリズムに神経を集中する。
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