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心の中の嵐がやんだ。
「kJfiijepppaw jidiia iejow we」
呪文はそれでも、少し掠れていたかもしれない。
ショウは生まれてこのかた、これ以上緊張した事も、真剣だった事もなかった。祈るような気持ちでアスタロトの傷口に手を触れる。
⋯⋯頼む。
じわじわと赤黒い血が染み出してくる。アスタロトの顔色は林檎の花びらより白い。ショウは傷口を凝視した。変化がない。焦りで気がおかしくなりそうだった。指先の震えが止まらない。
......もしこの世界に。
もし、この世界に、本当に人が信じるような『天』があるのだとしたら。
どうか神さま、この天使の祈りを聞き届けて下さい。
この後に及んで、ショウは他力本願と言い捨てた人間と同じことをしていた。だが、何か大きなものにすがり付かなければ押しつぶされそうだった。
集中し、もう一度、呪文を唱える。
「kJfiijepppaw jidiia iejow we」
言い終えると同時に手のひらが、ふっと熱くなった。
はじめての感覚だった。
みるみるうちに手から眩むような光が溢れだす。ショウは固唾を飲んで真っ白な輝きに魅入った。
手の下で流れていた血液が止まる。細胞が分裂し、内蔵を再生させ、断裂していた筋組織がつながり、皮膚が再生していく。
表皮が完全にふさがるとアスタロトが目をあけた。すぐに状況を察したアスタロトは一秒前まで瀕死だったくせに、自信満々で微笑んだ。
「⋯⋯ほーら、できたじゃないか」
「本当に痛くないですか?!ちゃんと効いてますか」
ショウの片腕はまだ痺れたような感覚が残っていた。
硬直してかざしたままのショウの手を、アスタロトが退けた。傷はわずかな痕を残して完全に治っていた。緊張がとけて倒れ込みそうなショウとは反対に、治癒の成功したアスタロトは至って健やかである。
「お疲れ」
「なにがですか」
ショウは聞き直した。アスタロトはそろりと上半身を起こすと、積もっていた花びらを掬いあげて、座り込んでいるショウに紙吹雪のように散らした。
「研修終了だ。少しは一人前になったかもな」
「ああ⋯⋯」
ショウはようやくその事実を思い出し、大きく息を吐き出した。
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