1-10 克己

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「そうだ。俺、芳野だ……」 呆然とする克己に、悪魔は言った。 「昨夜パカに確認した時、お前の事を外部から温泉に泊りにきた旅行者だと言っていた。やはり芳賀屋との血縁関係はない。じゃあなんで縁もゆかりもないこんな辺鄙な旅館に来たんだと思う」 「そんなの……遊びに来たんじゃないの?」 いつものように軽く答えようとするのに声が掠れた。悪魔は首を横に振った。 「ここに遊ぶものはない。あるのは温泉だ。この温泉は特別体に良いと評判だ。だから村人も自宅に風呂があるのにわざわざ入りにくる。噂を聞いて藁にもすがる思いで湯治にくる病人もいる。おそらくお前もその一人」 「え? それじゃ俺、病気ってこと?」 重なる衝撃発言に克己の声は上ずった。またしても天使が横からハッキリ告げる。 「そうです。寿命はあとわずか。末期ガンです」 「うそだ……」 嘘だと言いながら、悪魔の言葉に呼応するように記憶の扉が開く。  頭の中に医者の言葉が蘇った。  自由に動けるのはあと数か月です。余命は一年。やりたい事をやった方が良い。  克己の若さとショックの度合いを思って囁くような声だった。真昼間だったのにその部屋は薄暗く、克己は逃げ出したくて仕方なかった。 明らかに病変を示すレントゲン写真。それは体中に広がっていて、手術もできなかった。  克己は全然自覚症状がなかった。苦痛がなかったのは幸いであり不幸だった。だからこそ発見が著しく遅れたのであり、宣告を受けてもなお実感が乏しかった。  何かの間違いじゃないかと医者に詰め寄った。だが痛々し気に首を横に振るばかりだった。
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