1-10 克己

8/10
前へ
/347ページ
次へ
 克己に選択の余地はなかった。なる、と返事をした途端、くらりと天地がひっくり返るような眩暈がした。そして目覚めた時には何の違和感もなく芳賀屋の主となっていたのだ。  悪魔は頷いた。 「やはり疑似記憶か。近所の人たちも同じように認識している。なかなか力をもった氏神らしい」 「え? その蛇が昨日パカの話に出てきた土地の神さまなの?」 「そうだ。皮肉にも村人が気付いていないようだが、この芳賀屋の湧き水は蛇神の宿る場所だ。体に効いていたのは温泉じゃなくて蛇神の力なんだ。しかしいくら神でも寿命を覆すことはできない。先代の女将とて天寿を全うした。お前もそろそろ時間だ」 「そっか……」  本来の記憶からすれば、医者の言った通りその時はもう近い。  酒にしろ食事にしろ、食べられなくなっていたのは気のせいではなかったのだ。もう蛇神でも症状を誤魔化しきれなかったのだろう。  悪魔はうつむいた克己の肩を叩いた。 「馬鹿、辛気臭い顔をするな。お前には三つの願いがあっただろう」 「あっ!」 光が差したような気がした。悪魔は頷いた。 「この期に及んで忘れていたなんて本当に無欲ですね」 天使が後ろからツッコミを入れる。 「でも大魔王様、命の契約は対価交換が原則です。誰の命と交換するんですか」 「勿論、私だ」 「駄目だよそんなの!」 悪魔の即答を克己は全力で拒絶した。だが悪魔は余裕の笑顔で言った。
/347ページ

最初のコメントを投稿しよう!

207人が本棚に入れています
本棚に追加